2008年7月20日

福島県石川町 全日本実業団サイクルロードレース in 石川

結果   (BR-3:4周)17位 (34sec遅れ)/124人出走

実業団レースでは初めての公道レースである石川ロードに参戦してきました。結果的には自分のミスで力をフルに発揮できたとは言えないので、悔しさもありますが、集団内の位置取りや走行ラインの選択でまだまだ精進する余地が残されているようです。

前日の昼に石川入り。一般的には実業団連盟が設定した15時からの試走タイムに走るようですが、その前に空いているコースを走ることになりました。一緒に来た水竹さんはこのコースの近辺にあるスーパーの場所や過去の石川大会の変遷を含めて非常に詳しく、逐一コースのライン取りや注意点を教えてくれて助かりました。各区間の勾配や長さを確認しつつレース時に使用するギヤ比を決めることが出来たのがレース展開に役立ちましたよ。
ただし、いくら走り方がわかってもそれを実行できる力が無いと意味は無い。その意味ではしばらく前に陥っていた筋量不足による不調 (先日のFISCOレースはまだ不調から抜けていなかった) から回復基調でしたが、直前に子供からうつされた風邪 (手足口病) の影響で口内が痛くてしゃべるのも不都合を感じる体調が心配です。一緒に来たスキップチーム員と買出し&ファミレスで夕食を食べてホテルに戻った夜9時過ぎには服薬&就寝して風邪からの回復を図りました。

レース当日は6時起床、7時出発でレース会場へゴー。当日受付の高橋さんとも合流して屋根のある駐車スペースに陣取ることに成功。10時スタートのBR-1レースに備えてスキップ唯一のBR-1レーサーである新井さんが向かうのを見送って13時2分スタートのこちらはゆるゆると準備をする。朝錬では非常に力強い走りを見せて他の朝錬参加メンバーをズタボロにしてくれる新井さんがサバイバルレースになる石川でどこまで走れるのか、非常に興味深い。(残念ながら残り2周で赤旗を振られてDNF。でも他の錚々たるプロレーサー、ホビーレーサー達も同じ周回かその前に降りているので純然たる力の差が大きかったわけではないはず。)
補給地点でBR-1レースを3周見てから本格的に自分達の準備を開始。今回の機材はこんな感じです。

スペシャ・ターマック、ボントレガー・カーボンRace X Lite
スポーツドリンク入りボトル2本、カーボショッツ1本

BR-1レースでは終始、梅雨が明けたばかりの晴天で熱中症でレースを棄権する選手が続出したコンディションも次第に曇空になってきた。それでも湿度は高くてべとべとする空気の中を走るのは結構な悪条件。午前中には紫外線対策で腕脚にはめていたカバーを外して日焼け止めクリームを塗ってストレッチ。召集前に近くの坂を2本、軽めのギヤで回すことを心がけながらアップを行います。
私の場合は暑い条件では関節が十分に動いてくれれば、筋肉は周りの気温で十分に暖められているのでアップは少なめでも対応可能なんです。前日の試走でも激坂が無いことがわかっていたので、最初から出力フルパワーで走る必要を感じなかったから、軽めのアップでも大丈夫。

既にスタート地点に並び始めているBR-3集団の横を抜けてまんまと前から2列目辺りを確保していざスタート。試走時に気になっていた区間は最後の4Kmにわたる段々坂ではなく、スタート直後に現れる500mほどの登りと中盤の下り基調のコースにある2箇所の短い登り。段々坂は集団で走っていれば勢いでクリアできるはず。
そして多くの人が気にする上りながら右に鋭角に曲がるコーナーへの進入時に落車が多発するとの情報があったので、周囲を十分に確認しつつ、コーナーを抜けた後に速度が上がる先頭集団から遅れない位置で走ることを意識しました。

1周目からそれなりのペースだけど、懸念していた最初の登りで集団の20番手近辺を確保し、その後の下り基調のアップダウン区間に入ります。石川コースが得意の水竹さんが下りで集団を一列棒状にすべく先頭で前を引いてスピードアップする中でも楽に集団前方を維持出来ている。アドレナリンで風邪の症状を抑えられたのか、体調面での不安は感じません。実は前回の危険だったレースとは違って今回の集団前方では落車の危険をほとんど感じなかったので気づかなかったのですが、何とも無い下り区間で集団後方に派手な落車があって既に集団は半分ほどになっていたらしい。そのまま4Km登り区間に突入。問題なく集団の5番手以内でこの区間もクリア。とりあえず様子見のアタックも無い穏やかな立ち上がりです。朝錬仲間の石神さん@アクアタマも良い位置で走っています。私は最近までの筋量不足による不調からの回復具合に完全な自信を持てなかったので、最初の2周は何があっても集団内で自重し、その後は展開に応じて動くつもりです。

2周目になると集団の動きは鎮静化し、速め一定ではあるが大きなアタックも無いまま推移します。うむむ、この展開で我慢できるのか>私。3周目になってもそのままかと思われた中盤の平坦区間で4,5名が抜け出しを計ります。この動きに一瞬合わせかけたけど、あの勢いは4Km登りまで続かないと判断してまだ集団内で自重です。その読み通り4Km登りの1段目で彼らを吸収。同時に1名が様子見のアタック。徐々に差が開いていくも誰も追わない。私も我慢するけど・・・ペースが遅い、遅すぎる。思わず2段目で私も様子見のアタック開始。すぐに集団との差が広がるけど、相変わらず集団は追ってこない。ここで考えてしまった 「次の最終周回に備えて脚を溜めているな」。本当はここで一気に差を広げていれば面白かったのかもしれないけど、自重してしまったのは心の弱さか。
田んぼの平坦区間になって集団から水竹さんが飛び出てきて私と合流したら、さすがに集団も追ってきてようやく若干ペースアップして先ほど1人で飛び出した彼氏を吸収して最終周回に突入です。

やはり最終周回に入った途端に展開がめまぐるしく変化を始めました。まずボンシャスの若者がファーストアタック。これで一気に集団が活性化されて集団の絞込みが始まりました。その後の下り区間でもボンシャスの2名とEsperance Stage、北海道のDOKYU、水色系統のジャージの若者辺りが積極的に前を引きます。しかし今まで脚を溜めていた&活性化された集団からは逃げは決まらない。
最後の4Km上りに差し掛かって今までインナーで走っていた区間も全てアウターでスピードアップ。頻繁にアタックがかかるも全て潰されています。私は自分から脚を使わずに集団内の10番手近辺で走ります。このアタック合戦に生き残ったのは水竹さんを含めて15名ほど。
最後の150mで鋭角に右折して登りゴールとなるこのレースでは右折する前に良い位置で走ることが必須条件。残り2Kmからの田んぼの平坦区間で若干集団のペースが落ち着いたのでここで脚を溜めて残り500mの看板の前で集団の3番手まで位置を上げる。そのまま右折のインコーナーを目指しながらスプリントのタイミングを計っていた残り200mの看板前で事件発生。
私の前ホイールが誰かと接触。剛性確保の為にスポークテンションを上げているカーボンホイールはこういった衝撃に弱い。スポークが折れてしまったのだ。
大きく横振れしてブレーキシューにリムが押し付けられてしまって急激にスピードダウンしてしまった私にはもう集団に残るスピードは出せない。何とか強引に残り200mを走りきったけど、先頭集団の残りはもちろん後続の数名にもゴール前で抜かれてしまう始末。
ゴールラインを超えて停止したホイールを見ると2本のスポークが捻じ切れ、アーチを広げてもリムはブレーキシューに強力に押し付けられてもう周らない。良くこんな状態で200mも走ったものだ。(結局、右のブレーキシューはコルク素材なのに200mで形が崩れるほど大きく削れていた)

ゴールスプリントでは色々なことが発生するし今回の件で誰も落車などの問題は発生しなかったから、誰にも攻められなかったし、私も誰かを攻められない。しかし、後から思えばそうした事故を防ぐためにも3,4番手ではなく集団先頭で突っ走るべきでした。コース取りもベストではなかったんでしょう。
はっきり言って今回のレースでは確実に優勝あるいは上位入賞の可能性が目の前に見えていただけに残念な結果になりましたが、まだ精進するネタが増えたということですね。

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