2008年10月5日

ツインリンクもてぎ−もてぎ7時間エンデューロ

結果(36周) ソロ7時間の部:7位 (先頭から3lap遅れ)

ソロ7時間の部:7位 36周 (先頭から3lap遅れ)

ツール・ド・おきなわ前にレーススピードで長距離を乗れるレースとしてもてぎ耐久に耐久レースで使うポン!チーム名義で参加してきました。

このレースはすぐにピット近くの駐車場が満車になる、という話だったので近所のK氏に前夜から迎えに来ていただいて、2時頃にもてぎの南ゲート前に到着した時には早くも30台弱の車が並んでいた。昨年も参加したK氏曰く、昨年比3倍の車列とのこと。昨今の自転車イベントへの盛り上がりを感じますが、この調子では来年は前日のツインリンクもてぎ営業時間の終了直後から並ばないと良い場所に駐車できない雰囲気かも?
私は後部座席で毛布に包まって2時間半ほど仮眠しましたが、我々の車の近くで宴会を始める輩や大声で騒ぐ輩の為に運転席、助手席では仮眠どころではなかったようです。
後から聞いた話では開門時刻である4時半には車列の長さが1Km以上になり、しかも1台1台の通過確認に結構な時間をかけていた事もあってゲート通過まで30分以上かかったとか。似たようなイベントである富士チャレンジでは少なくともゲート前で渋滞はなかったから運用で改善できるはず。ぜひとも検討をお願いします>主催者殿。

無事にピット場所を確保して着替えなどやっていたらすぐにコース試走の時間になってしまった。事前調査では途中に700mほどの登りがあるのが気になっていたのですが、実際に走ってみると3,4%程度の緩斜面。そして緩斜面直後の長めの下り以外は、ほとんどフラットなコース。これは高速レースになりそうな予感です。

4000人もの参加者の受付で予定より30分遅れで進行することが決まったので、のんびりしていたら早くもコース上に人が集まり始めていたので、慌てて移動。何とか前から3列目あたりを確保して一安心です。すぐ横にいた稲村さん@チームWADAや少し前にいた増田さん@オーベストにご挨拶。本日は普段と違うジャージなので覚えて頂かねば。

今回の使用機材
スペシャ・ターマック、ボントレガー OCLVカーボン120
カーボショッツ×8本、スポーツドリンク入り500mlボトル×2本、クエン酸水入り500mlボトル×1本

スタートしてすぐに集団前方へ移動。ゲストライダーのメイタンホンポ:新城、宮澤、増田という豪華メンバーに明治の学生2人が7時間耐久レースの参加者の主な先導役でした。で、最初からゲストライダー達が良いペース、というより凶暴な速さです。一番スピードに乗る下りコーナーではメーター読みで67Km/h弱・・・。さっきまでのんびりしていて体が温まっていない状態でこの仕置きは辛いっす。しかし、通常のイベント系耐久レースでは最初の1時間は集団内で危なっかしい動きをする人が随所に見受けられるのですが、今回はこのハイペースのおかげで30分も経たないうちに集団の人数が絞られて逆に走りやすくなってきました。まあそれが唯一の良かった点でしょうか。
そして約2時間弱のメイタンライダー達によるイジメを受けながら残ったのは、ゲストライダーである明治の学生達、高岡さん@おきなわチャンプ、井上さん@synargy、増田さん、手賀沼CCのジャージの方そして私という面子。チーム参加の方々はことごとく遅れてしまった模様です。この時点までの平均時速は41.5Km/hほど。
今回は先にあげた補給食&飲料で願わくは7時間ノンストップで走ろうと考えていて、この時点ではまだ1本目のスポーツ飲料ボトルに1/4ほど残っていました。しかし早朝は寒かった気温もこの頃には秋らしい陽気で紫外線対策カバーを両腕、脚に装着していた下では結構な汗が出ていました。今から思い返せばこの時点からミネラル補給が足りていなかったのでしょう。
この超特急から下車してしまうと、良いペースの集団がすぐに見つからない恐れもあってその後がもっと辛くなるし、この速度で自分がどこまで耐えられるのか、おきなわに向けて良い練習になると自分に言いきかせてローテーションを淡々とこなします。しかし、3時間が経過しようとする頃からハムスト、腰を中心に全身が痛みに覆われてきました。相変わらず7時間で3本のボトルを消化するイメージで給水していたので、この症状もミネラルの摂取不足だったのでしょう。カーボショッツによるエネルギー補給は今までの経験で1本/1時間で問題ないのですが、給水については課題を残しました。
そういえば、優勝した高岡さんと2位の井上さんは3時間、5時間経過時にコース上で補給を受けていたようですし、3位の方も4時間経過後にやはりコース上で補給を受けていました。やはり無補給で7時間走行は無謀だったのか。

そんな限界走行で走っていた3時間半経過時の緩斜面で大集団を抜かすと、彼らも我々に合わせてペースを上げてきた。後から聞くとこの集団が4時間耐久の先頭集団だったらしい。要するに彼らを周回遅れにした、ということ。どうやらこの時点で我々5人は、ほんの一部の7時間耐久チームを除いて他の全ての参加者、チームを周回遅れにしていたようです。
危なっかしい走りをする一部のライダー達がいたこともあって、7時間ソロチームは一時休戦。4時間経過して彼らが去ったコースは一気に人が減ってスカスカになってしいます。ここから痛む身体をストレッチなどでだましながら5人+元気なチーム参加のライダー達と走行を続けますが、とうとう5時間経過を目前にした緩斜面でほぼ同時に両脚の内腿に強烈な痛みが。
今まで私の数少ない自慢だったのが "脚を攣ったことが無い" こと。どうやら人よりも脚の筋肉が柔らかいようで攣りにくい体質みたいなんです。しかし、ここ数年は加齢のせい?で攣らないまでも寸前の痙攣を発生させる事が時々あったのですが、とうとう人生初の脚攣りに見舞われてしまいました。

あっという間に視界から消える4名+α。とりあえず軽く脚を回すことは出来るけど、今まで平均40Km/hだったはずなのに25Km/h走行がやっとです。ふらふらになりながらピットに戻って水分補給&休憩。その間も数回の脚攣りに襲われて他のポン!チーム員にストレッチを手伝ってもらう始末です。この時点で走行距離は190Km強。「200Km、5時間は体が耐えてくれないとおきなわ対策にはならないんだけどなぁ」と自分の弱さを実感しますが、ここで止めてしまってはもっと悔いが残ります。
ピットインして約20分後にようやく再スタートしますが、追加補給したミネラル分がまだ身体に行き渡っていないのか最初の2周ほどは体中が痛かったのですが、その後は徐々に復活して単独でも12分弱/周で走れるまでに回復しました。それにしてもこの時間帯になると自分と同じようなペースで走れる人がいなくて再スタート後はほとんど単独 or 先頭固定だった記憶があります。
脚を攣ってからピットに戻るまでにソロ6位以降の後続に詰められた差は恐らく3,4分。休憩中に彼らは2周前後を走っているはずで、先頭集団から離脱する前にせっかく築いた1周のアドバンテージは逆に1周の遅れになっているはず。でもその位置で走れている人が何人いるのかわからなかったので、もしかするとまだ入賞圏内かもしれないし、もっと落ちているかもしれない。次第に動くようになってきた身体の状態を考えてできるだけの事をしようとコバンザメ君たちが私の後ろについても構わずコーナーで立ち漕ぎで引き離す。後で聞くと一時は8位まで順位を落とし、しかも8位のすぐ後ろに9位が迫っていたらしく、気持ちを切らしていたら更に順位を落としていたことでしょう。

そんな中、遠くから聞こえるイイミワ嬢のアナウンスによると、やはり高岡さんが単独で先頭を、井上さんが2位を走行ですが、徐々にその差が広がっているみたい。最初に高岡さんの位置がわかった時には私の5分ほど後ろの地点だったので追いつかれないように気合を入れていたのに、残り15分くらいで明治の学生連中に引かれた彼氏が登場。うげげ、まだこの時間帯でそんな速度で走れるんですかい。後ろに取り付くことも出来ない速度差で行ってしまった彼の後姿を見てモチベーションが落ちかけましたが、その後しばらくして現れた別の集団に憑依に成功して7時間経過後のゴールラインを通過。
ゴールして後片付けをしているチーム員の横でレース後の薄皮パンを食しながらレース結果を表示していたモニターを見ると・・・うう、7位じゃん。先週に続いて6位までの入賞を逃したのか・・・ガックシ。
とはいえ、6位との差は半周程度あったようで追いつくのは難しかったみたいだし、ほぼ同時ゴールの8,9位は私の3分遅れで私は後続との差を多少は離した雰囲気です。再スタート後に頑張ったのは多少は報われたかな。

後片付けを終えて撤収する頃に降り始めた雨の中、表彰式が始まっていましたが、「あそこにいたら寒くなる中を待たなくてはいけないから皆の為に入賞しなかったんだ!」なんて・・・・強がりだよな。くっそ〜、悔しいぜ。

帰りの車中は夕食の為に車外に出た時間帯を除いて完全に気を失っていて気がついたら既に都内に入っていた。雨の中を22時過ぎに自宅着。ジャージを洗濯して風呂に入って24時前にはさっきまであれほど車内で寝たのにあっという間に爆睡でした。


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