2003年11月9日

ツール・ド・おきなわ

とうとうやってきました、ツール・ド・おきなわ。ホビーレースの最高峰である市民200Kmを持ち、日本全国から強豪レーサーが集う大会。自分がこのレースに出る事になるとは考えてもいなかったが、なんの因果か今年は参加する事に。出場するからには恥ずかしくない成績を残すべく、2週間前には厚木のスキップでの出稽古でモチベーションと刺激をいれ、疲れを残さないように仕事を必死に調整して、それなりに順調な仕上がりを見せていたが・・・
レース1週間前に自宅近くをMTBに乗っていた時に路地から出てきた車に出会い頭に当てられる事故にあってしまう。しかも、逃げられてしまうおまけつき (現在も車は見つかっていない)。MTBはほとんど無傷だったが、体のほうは数カ所の擦過傷と左肩及び指への打撲を負うはめに。特に事故直後の左肩は自力で水平以上に腕を上げることが出来ない状態で、自転車に乗っていても振動が響いてくる感じ。そんな状態で警察への通報、実況検分、近くの病院での診察、警察での調書対応更に10Km以上の距離を自宅まで帰るまでを全て自走でこなす事になり、酷い事になってしまった。
ここで書いても仕方ないけど、神奈川県警は一介の交通事故 (ひき逃げ) なんて軽微な犯罪を真摯に取り組む姿勢なんて全く感じられないもんですね。こういう軽犯罪からしっかり取り締まらないといつまでたっても治安は良くならないよなあ。
そんなわけで最後の1週間は全く自転車に乗れず、しかも仕事が相当ハードになってしまい、それまでの調整はあまり効果が期待できなくなってしまった。

レース前日
朝5時半に家を出て8時5分の飛行機で生まれて初めての沖縄へ到着。東京も11月にしては結構暖かい気候だったが、那覇は30℃近くで空が夏色している!今回は関東の強豪チームであるチーム物見山の人と一緒のツアーにて初のツール・ド・おきなわへの参加です。
何故か沖縄まで来て普通のファミレス (名前失念) にて食事をとってから名護市民会館へ。ここでトラブル発生!なんと中村さん@物見山がエントリーミスで出場できない事になってしまった。申し込み時に参加証の送付を希望しないオプションがあったらしく、その場合は500円の参加費割引があったらしい。知らなかった。で、何も持たずに沖縄に来たらエントリーが受け付けられていない事が会場で分かったという・・・参加費払込時の控えなどは自宅においてきてしまったらしく、参加費を払い込んだ証明が出来ない事態になってしまった。これだから控えはちゃんと残しておかないとね、といっても後の祭。大金を叩いて来た沖縄で無念の未出走・・・

私は他の80Km/120Kmの参加者と共に宿泊地であるオクマリゾートへ移動して自転車を受け取ってから組立後、午後4時過ぎに近くを試走開始。この時点では天気も良く、海沿いを走るコースは最高に気持ち良い。この天気が次の日にあんな状態になるとはね。
往復で20Km弱だっただろうか、近くのコンビニで水を購入。今回の沖縄にはパワージェル3つとパワーバー1つ、BCAA/アミノ酸の粉末を補給食として持参しているので、これ以上の食料は特に必要なし。
夜は中華バイキングをたっぷり食べて、9時半には皆さん消灯、就寝でした。

レース当日
5時半に起きて外を見ると、何と雨が降っている。それも結構本格的な降り。実は今回はZIPPのカーボンホイールしか持ってきていないし、ブレーキシューもノーマルなので、雨では本当に困る装備なんです。天気予報を見ると天気は午後にかけて良くなる方向らしい。早速雨の降る中を朝食へ。パスタが山盛りになっていたので、遅れ馳せながらカーボローディング (レース直前では全く意味なし)。戻ってからボトル2本にBCAA/アミノ酸の粉末を投入し、スタート地点に持っていくかばんの中にいれるボトルにも事前補給用のBCAA/アミノ酸を投入。
慌てて荷物をまとめて名護へ向うバスに自転車輸送用のケースと共に荷物を預け、自転車をスタート地点まで運ぶトラックに持っていく時点でも雨は降り止まない。馬場さん@物見山と一緒にバスに乗り込んでスタート地点の普久川ダムまで。ダムに向う登りの途中、路面を見ると一面に油が浮いている場所が数カ所ある。後で聞くと路面改修した時のコールタールが流れていたのでは?と言う話だが、この時はビビリまくり。実際、国際ロードの部ではこの辺りでかなり大規模の落車があったらしい。この時点でレースに対するよりも安全走行でゴールする事のほうに思考が向いていた気がする。この時は向う先の空が少し明るかったので、天気の回復傾向である事を信じていたんですけど・・・

スタート地点で自転車を受け取り、数人の知り合いに挨拶してから近くをちょっと試走するが、路面は濡れているし、あまり走ってホイールに水を浴びてスタート直後から始まる下りでいきなりブレーキが利かなくなる事態を避けるべく、更に220名ものの大量エントリーによるスタートの遅れを避けたいために早めに召集地点へ戻るために早々に試走を終わらせる。どうせ最初はゆっくりだろうから、その間に体も温まるでしょう。この時点では雨は小雨になってきていた。
そうこうするうちに下のほうからヘリコプターの爆音が上がってきて国際ロードの先頭が近づいてきたようだ。先頭は3人。USナショナルチームの2名とミヤタのジャージが1名。かなりのスピードであっという間に過ぎていく。後方集団は40名くらいがばらばらと4分くらい遅れている。

この頃、雨が再び本降りになってきた。メイン集団が行ってから先にジュニア国際の部がスタート。その後に市民120Kmだが、皆考える事は一緒で少しでも前でのスタートを狙っている為に前にどんどん割り込まれる。こちらも人を掻き分けながら何とか中段よりも前に位置する事が出来た。と思ったら突然の号砲。周りから「もうスタート?」という声を聞きながらクリートを嵌める音。すぐにシューズの中にまで水が染みてきている、と言う事はもうホイールもあっという間に濡れてきてブレーキを試しに軽くかけても手応えが非常に軽い・・・"下りではとにかく安全最優先でゆっくり行こう"という考えだけが頭を支配している。集団の30m位後ろからそろそろと。やはり皆さんもいきなりの雨と言う事もあってペースはかなり遅めだったので、こちらもさほど無理せずについて行ける感じ。一旦下ってちょっとした登り返しでは早くも遅れる人がいるので、集団の中段まで位置を上げてみる。すぐに再びの下り、そして私は再び集団の後方へ移動。道路はほとんど川のようになっているので、集団の中にいると水飛沫による視界不良が酷いので、雨の時は集団前方にいるのが鉄則だけど、この状態では自分がスピードを制御できずに落車の原因を作りかねない為、今回は下りでは集団から離れる事にしていた。
そんな感じで落車もなく淡々と進んでいたが、奥にある最初の関門に向う下りで一人が火花を撒き散らしながら道路脇の茂みに突っ込んでいく人影が。と思ったら自転車と人が1回転している!ボトルが目の前に飛んできたけど、無事回避した。あまりにも壮絶な落車シーンを見て集団も更に慎重になっていった。
この辺りから多少のアップダウンが続く為、下りではフロントアウターに入れていたギヤをインナーに落とそうと何回かSTIレバーを操作したが・・・・何と突然のSTIレバー不調でフロントディレーラーが動かなくなっていた!!!何という事。この先100Km以上をアウター固定ですかい!!かなりショックだったが、仕方ない。そうこうするうちに奥の関門を越えて登りに差しかかる。最初は53X21で登っていたが、この先は長く、足を使いすぎてもいけないので坂の半分くらいから53X23の完全な斜め掛けでダンシングでトルクをかけていたら、斜め掛けによる応力でフロントがインナーに落ちてくれた。まだディレーラーはアウターの位置なので、大きい後ろのギヤを使う時にはチェーンが当るが、小さいギヤではさほどストレスなく回せそうな感じ。インナーであればとりあえず登りもちょっとした平地までこなせるので、かなり助かった。
この登りでは集団前方に殿岡さん@チバポンズの姿が見えている。今年は相当乗れているらしいので、恐らく優勝候補の1人でしょう。彼が引っ張っているからと言うわけでもないでしょうけど、集団もまあそれなりのペースで登っている。自分もさほど無理せずに集団の中段で登りをクリア。それまでのコースで気を使って集団との位置取りやブレーキングしていた疲れか、両肩にかなりの凝りを感じるようになってきたが、とにかくこの先の普久川ダムへの登りまでは落車せずに集団についていければ何とかなりそうな気分になってきた。

しかし、世の中そんなに甘くはなかった。岬を回って下り基調の宣名真トンネル?の出口で落車が発生。随分と離れていたので余裕で避けられると思ってハンドルを切った瞬間に全くグリップを感じないまま、私も道路にたたきつけられていました。そのまま10m位滑ったか。周りを見ると10名弱が落車に巻き込まれているようです。近くにいた馬場さんも一緒。しかし彼は素早く立ちあがって行ってしまいました。私は滑った時の痛みと驚きですぐには動けなかったのですが、ようやく近くに落ちていたボトルを回収して落車から1分後に再スタート。後でポラールのデータを見ると50km/h以上のスピードからの落車だったようです。この間にかなりの人数に抜かれています。集団はもう見えないところまで行ってしまう事に。
とにかくここからは海岸沿いなので風除けのない単独での走行はあまりにも無駄。しばらくしたら何とか追走集団を形成する事に成功。落車による被害は数カ所の擦過傷と左わき腹の軽い打撲 (またかよ!) ですんだみたいでこれなら続行可能レベル。自転車は落車の影響は無いみたい。ここで持参していたパワージェルを1つ補給。途中、もう一つのトンネルでも殿岡さんも巻き込まれた大規模な落車があったようだが、しばらくすると前方に集団の影が見えてきた。普久川ダムに向って集団のペースは落ちているようだ。この海岸沿いを走っているときに2回も救急車が後方へ走り去るのを目撃。ゴールするまでに5回くらいは見たでしょうか。
何とか登りの前までに追いつくべく集団を引っ張って頑張ったが、あと200m位までに迫ったところで届かず。この時にかなり脚を使い過ぎました。

相変わらず強い雨が降り続いています。落車の直前にスタートした80kmの参加者や先頭集団からこぼれてきた120kmの参加者を抜きながら見えなくなった先頭集団を追うが、時々、後輪がすべる時があってかなりのパワーロス。それでも海岸線で一緒にローテーションしていた人は1人を除いて千切っていたので、それなりのペースだったはずだが、それでも先頭集団は見えてこない。このとき付いてきていたのは橋本さん@ヤマダレーシングでした。彼とは最後まで一緒の集団でお供する事になった。そうこうする内に前に80kmに参加している松井さん@物見山の黄色いジャージが見えてくる。抜きざまに声をかけると後ろから同じように声をかける人が。別に落車していた殿岡さんでした。本人も今回のレースは狙っていただろうに、悔しさを感じさせないでひたすら前を見据えて追っている。その時のベストを如何に出すかに集中するその姿勢はこれからのレース参加時には見習いたいものです。で、私もそこで殿岡さんをここで見送り。付いていきたかったんですけど、全く追えませんでした。いや、本当に強いです。尚更、彼の落車がもったいない気がします。途中、一緒の物見山ツアーで参加の木下さんと合流。彼も最後まで一緒の集団でゴールしました。

普久川ダムの頂上付近が飲み物の補給地点。それまで飲んでいたBCAA入りのボトルを捨てて水入りの新しいボトルを貰う。雨は降っているけど、水分の補給は別にやらないといけません。
ここからは再び下り。この時には雨は更に激しさを増してサングラス越しでも顔に当る雨が痛いほど。気温が高かったからまだ良かったけど、自分のレース経験の中でも最悪の雨状態。そこをカーボンホイールで下らなくてはいけないんですもの、慎重になりますよ。さっきの登りで一旦抜いた人にどんどん抜き返されるが、「落車するより完走しないと意味が無い」と人より随分とゆっくりペース。肩の凝りはますます酷くなってくるし、周りは無謀とも言えるスピードで飛ばしているしで、かなり疲れ気味。長い下りが終わって安波から高江へのアップダウンが続くコース。ここで15人くらいの集団になってローテーション。隙を見て2つ目のパワージェル投入。しかし、下りではどうしても怖いので集団から遅れ気味。登りで追いつく走りを繰り返す。しかし、あまり怖がってばかりでも体力を消耗するだけなので、少しずつ下りでもペースを上げていき、平地区間が多い平良辺りではようやくコツがつかめた感じになってきていた。平良の補給所でスポーツドリンクを追加で入手して、慶佐次から有銘と続く少し長目のアップダウンへと突入。

この辺りから集団内での脚力差が少しずつ表面化してきて、人数が減り始めた。この手のコースでは長い下りで飛ばすと次の登りで脚が売りきれやすい。その点に注意して進んでいった。そして"なら日記"でも"乗鞍級のきつさ"と以前表現されていた源河の登り。この時点で走行距離は100km近く。確かに勾配は5%程度で、距離も2kmちょっとと大した坂ではない。でも疲労した体では噂通りの完全なヒルクライム気分。11-14km/h辺りのスピードでヘロヘロと登る。途中、沿道で太鼓をたたきながらの応援を受けました。結構嬉しかったです。でも、あとで奈良さんにこの辺りの通過スピードを聞くと、なんと"20km/h以下には落ちていないはず"との返事。こちらは100km走った後の状態、奈良さんは180km走った後の状態ですら10km/h近くの速度差。自分とのあまりの違いに愕然とする。って事は世界のレベルでは恐らく180km走った後のこの程度の坂では30km/hくらいで通過しちゃうんでしょうか。

源河の頂上付近で80kmに参加の兼子さん@物見山を吸収。ここに来て雨もようやく止みつつあったので、下りも楽になってきた。下りきってから最後のパワージェル補給。最後の平地区間へ。ここに来ると前方が開けてくるので、集団のペースを上げて落ちてくる人を次々と吸収していく。するといっしょに落車した馬場さんの姿をようやく発見。馬場さんは単独、こちらは10名程度のローテーションしながらの集団走行で難なく追いつく。そのまま集団についてくるかと思いましたが、脚を攣っていたんですね。この15km位の区間は、かなりの部分を完全に道路を全面通行止めにして走っていて気持ちいいです。地元住民にとっては迷惑でしょうけどね。途中、陸橋部分で私が先頭を引いていた時に兼子さんは集団から千切れたみたいでした。この後、集団は5名程度に。
残り5km辺りで市民200kmの先頭が単独で抜いていきました。シマノドリキングの白石さん、独走のようです。しかし、いくらなんでもこちらは小さいながらも集団走行。抜かれたものの、いつでも抜き返せる程度の脚は残っています。しかし、このまま最後まで彼の前に出ないでゴールさせるのも1案かと思ったか、こちらの集団もペースを上げない。最後1kmの看板辺りでこちらの集団もいい加減ペースアップ。白石さんを抜いて残り500m。木下さんが更にペースを上げるが、私はこの位置で無理しても仕方ないと考えてあえて追わず。そのままゴールしました。
ゴール地点ではここから1kmくらいのところに実家がある会社の人や他の知り合いが応援してくれていたみたいですが、全く気付かず、申し訳ない事でした。

結局、57位/140名(完走者)、3:26:45、トップとは15:40差に終わりました。ゴールしてから、一緒の集団で走った人達等と話していると来年も出たいな、と言う気持ちになってくるから不思議。来年はリベンジだな。
次々と集まってくる知り合いと話してみると参加者の半数近くが落車などのトラブルを経験した模様。次第に天気は晴れてきて再び暑さを感じるくらいになってきました。すると、何やら小学生の少年がこちらを見ています。なんと補給所で貰うボトルを集めている、との事。確かにボトルがいっぱい入ったビニール袋を持っていたけど、あの量を集めてオークションにでも出すんかいな。
ゴール地点でボランティアの女子高生による (健全な) マッサージを受けて自走でホテルまで帰着。この時はすっかり南国の天気。この天気だったら良かったのに。

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