2004年11月14日

ツール・ド・おきなわ

やってきました、1年のメインイベントであるツール・ド・沖縄。昨年はメカトラや落車もあってどちらかと言えば不完全燃焼でした。今年は9月と10月の前半こそ記録的な台風ラッシュのせいで乗込みが出来なかったものの、その後は順調に調整が出来ています。乗込みによる疲労も出発前日の鍼・整体で回復。絶好調ではないにしても良い感じに体調を合わせることが出来ています。余計なトラブルさえなければ必ず昨年を上回る成績が残せるはずです。
(↑は結果がわかっているから書いているんじゃないですよ)

今回は昨年のレースで同じ集団にいた梅田さん@和田サイクルRCの伝で彼らの沖縄ツアーに混ぜさせてもらっての参加。たまたまレースで同じ集団に2時間位、一緒だっただけなのに、こんな縁になるとはそれはそれで楽しいものです。でも本来であればレース翌日の月曜日まで沖縄に滞在予定だったところを、急遽仕事の都合でレース終了後に東京にとんぼ返りすることになってホテルキャンセルや交通の便なども考慮して頂き感謝です。>御木さん、梅田さん他の和田サイクルRCツアーの方々

11月13日(土)
私以外の面々は金曜日から現地入りしているので、名護までは一人での行動。マイレージによる飛行機チケット予約が若干遅れた為に羽田発は遅めの9:15の便しか取れませんでした。それでも"空港で少しは知り合いに会えるかも"と期待していましたが、いたのは修学旅行に向かう大量の高校生。結局一人も自転車乗りすら見かけないまま搭乗。那覇空港を降りて時計を見ると、11時52分。12時発の名護行き高速バスまで時間が無い、と空港内を荷物を背負って猛ダッシュで出発直前のバスの補助席を何とか確保。間に合いました。実際には他の人の輪行自転車を積む作業が時間かかって10分くらい遅れて出発でしたが。
飛行機でも食事は出ないし空港でも降機してすぐにバスに乗車してしまったので、昼食無しで1時間40分ものバスに揺られて名護市役所前に到着。
実は車内では隣の隣にTD沖縄の市民200Kmで3回優勝、昨年も2位の高山さん@フィッツが座っていて同行者となにやら話していました。レースはこのTD沖縄しか参加していないようですが、日本のトップアマチュアのレベルを維持するモチベーションをたった1つのレース参加で持ち続けられるのは「凄い」の一言ですね。自分の場合は意志が弱くて動機付けがないと練習できないし、練習しないとあれだけのレベルには到達できないです。
バス停横の名護市民会館で受付を済ませると即座に参加受付表に添付されていた昼食券を使って、会場内に併設のテント内でハンバーガーと追加の沖縄そばを食して、ようやく空腹を紛らわしました。既に色んな人が書いていますけど、昨年に会場内に響き渡っていた"ツール・ド・沖縄の唄"なる面妖な音楽も無く、非常に好ましい、というよりこれが普通でしょ。
和田サイクル御一行様を待つ間に開会式の様子を見に行くと、何でも沖縄及び北方対策担当(長い名前だな)の小池百合子大臣の大会に向けた祝辞が読まれるところで、本人が出てくるのかと思ったら何とも冴えない感じのオジサン(といえども、内閣府の人なので偉い方みたいですけど)が急用(ホントか?)で来れなくなったという大臣の替わりに祝辞を読んでいました。せっかく日本国の大臣を見れるかと思って期待したのに損した気分。

和田サイクル御一行と合流後、梅田さんの運転するレンタカーでオクマリゾートへ。チェックイン、自転車組立てを終えて普久川ダムへ上る場所まで体をほぐしに出かけたのですが・・・
梅田さんを先頭にして次が私、その後ろからステムにデジカメを固定して1GB(!)のメモリスティックに動画を撮っているノリさん、カゼさん、イマムラさんと隊列を組んで小さな集落に近づいた時、前方にママチャリに乗ったオバサマが見えました。それを抜こうとして梅田さんが右に進路を変えようとした時に、オバサマが更に右に傾いたので梅田さんはそのまま左側から抜こうと直進気味に。それを見て私も同様に右から左にハンドルを戻した時にブレーキをかけるタイミングが遅れてしまい、梅田さんの後輪に私の前輪が絡んでバランスを崩して落車。しっかりとブレーキレバーを持っていなくてはいけませんでした。後で動画で確認するとオバサマはこちらの様子には気づかずに何とすぐ先の十字路を左折して去っていました。
私の左のSTIレバーが外向きに開いてしまって一旦はレースを諦めなくてはいけないか?と焦りましたが、何とか応急処置成功。動きは硬いが、変速も大丈夫みたい。体のほうは直後は血が滴り落ちて服に垂れるほどでしたが、実際は打撲も無く左肘と左膝に単なる擦過傷でレースには支障はなさそう。梅田さんの後輪もダメージはほとんど無く、問題なかったのは不幸中の幸い。
オクマリゾートに戻ってノリさんが秘密兵器の絆創膏を出してくる。何と幻のサランラップ巻きを実現する絆創膏 (商品名:キズパワーパッド) じゃないですか。噂でしか聞いたことが無かったんですけど、自分の体を張って試せるとは光栄でございます。頂いた絆創膏は体から傷口から染み出る体液(浸出液と言うらしい)を吸って(?)白く膨張して湿り気を与えているみたいで、説明書によるとその体液を集めることで皮膚の再生能力を高める、みたいな事が書いてあって半信半疑。とにかく試してみましょう。

夕食は昨年に引き続き中華でバイキング形式。そして昨年に続いて食べ過ぎ気味。奥のテーブルではなぜか200Kmに参加のはずの高坂さん@HOT STAFFが80/120Km参加者しかいないはずのオクマで食事をしています。幾らなんでもオクマに宿泊することは無いでしょうから、食事後に名護に戻る (車? まさか自走?) んでしょう。う〜ん、謎の行動だ。
満天の星空を見ながら部屋に戻って近くの自販機で売っているオリオンビールを飲みながら皆さんと談笑し、10時半には就寝。

11月14日(日)
何故か知らぬが、睡眠深度が深くなりきらずに5時に起床。それでもレース当日の高揚感からか、昨日の落車の影響や移動の疲れはあまり感じないです。早速出発準備してから5時半にホテルのカフェテリアに向かうと、まさに開けたばかりでさほど並ばずに朝食を始められました。そしてまたしても昨年に続いてパスタをバカ食い。でも昨年と大きく違うのは雨の気配が全く無い事。6時過ぎに部屋に戻り、荷物と自転車を持って裏の駐車場へ持って行きます。ここで多くの知り合いと久しぶりの邂逅。荷物と自転車を預けて普久川ダムへ行くバスに乗込んでいざ出陣。
今回の補給食は昨年と違って気温が上昇して体力の消耗が激しいはずなので、昨年の1時間間隔よりも短い40-45分間隔でパワージェルを4本摂取する予定+1本の合計5本、BCAA粉末15g(後半用)/20g(前半用)入りのボトル1本ずつ。それに部屋を出る直前に更にBCAA粉末を15g摂取、の以上です。

バスの中では最初は梅田さんと「今年はスタート地点に自走するのは何人かね」なんて話をしていましたが、若干の寝不足感を覚えて思わず15分程度の仮眠をしてしまいました。結果的にこの仮眠でようやくすっきりした感じ。そして今年は自走が5,6人いたようです。
バスを降りて出走票を出しに受付に行くと、赤い軍団セレーノの秋元君がいます。昨日、パンフレット (チーム名の記載無しでエントリーした人の名前だけ書いている) をもらって面子の査定をした時に名前を目にして半分信じられなかったんですけど、本当に同じクラスですよ。断トツの優勝候補としてマーク、というより如何に彼から離れないでゴールするかを見極めないと。次第に日差しが強くなってきて日焼け止めを持ってこなかったことを後悔するほどです。

国際レースの先頭、後続集団が信じられないスピードで過ぎた後に国際ジュニアがスタート。その5分後くらいに市民120Kmもスタート。とりあえず普久川ダムからの下りは緩く始まるんだろうと思っていましたが、いきなり70Km/hオーバーで下っていきます。いきなりのハイペースに面食らって先頭集団のお尻に付くのが精一杯で集団内の位置を前後するほどの余裕がありません。それに下っているのに前を見ずに路面を見ているヤツとか走行ラインがふらつくヤツ、ちょっとした登りで中切れしそうになるヤツが多くてそれを避けるのが大変。こんな状態では周りを見て無理して自分の位置を前にする必要は無いと判断してそのまま自重。それにしてもスタート位置が集団の前方だったから良かったものの、後方スタートだったら結果的にどうなっていたか分からないですね。奥までの20分間、心拍が上がりきらずに非常にしんどい思いをしました。

奥のスプリントポイントは20−30番手辺りで通過。すぐに登りになります。昨年は雨が降っていたためかサイクリングペースで非常に楽だったんですけど、今回は妙に速い。前を見るとやはり秋元さんが集団の先頭でがんがん引いています。ようやく心拍が上がり始めてきて自分的には85%くらいの力でクリア。そのまま海岸線に向かう下りもスピードは速いものの、ようやく周りの雰囲気が落ち着いてきました。そのまま昨年の落車ポイント、宣名真 (ぎなま) トンネルへ突入。電灯が少ないのか、かなり暗くて周りもどよめくが、無事クリア。ここで80Kmクラスのスタート地点を通過。多分、昨年より5分くらいは速いはず。

そのまま大集団のまま (100人位?) 海岸線を45Km/hで突き進みます。昨年は普久川ダムへの登りに備えて速度が緩んでいる (ように見えた) んですが、今年は高速のまま行っちゃう雰囲気。しばらく集団の中でおとなしくすることにして最初のパワージェル補給。補給して周りを見ると、集団の左側はかなり人数が密集していて前に移動するには右側、すなわち車線側でないとまずい。しかし皆焦って前に行きたがっている状態が続いて危ない。頃合を見て位置を右に移して集団前方に移動開始。集団の10番手辺りまで位置を上げたところで、前が一気にペースを上げていきなり一列棒状で突っ走ります。前では相変わらず秋元さんが積極的に集団を引っ張り、それ以外では加藤さん@日野サイクルもローテーションに加わっているのが見えます。10人程度が先頭を引いているみたい。それを見ているうちに後ろから詰めてきた人達に戻されるように集団内での位置を20−30番手まで下げてしまいました。こんな形で慌てても仕方ない、と前に出ずに落車に気をつけて普久川ダムまでそのままの位置で推移。

普久川ダムへの登りに入ったところで一気に先頭集団前方に復帰。最初のトンネルまではそれまでの勢いそのままの良いペースで入りますが、この辺りから80Kmクラスの千切れ組がかなり行く手を塞ぐようになってきて若干ペースダウン。カウンターでのアタックに備えますが、誰も仕掛けず。それまでのハイペースでアタックするだけの余裕が無いのかも。私はここの登りで集団から抜け出せるほどの自信はないし、それに少しペースが落ちたといえ、かなり限界に近い状態での登りなのでそのまま集団の中程で進みます。途中、平地得意の加藤さんが結構涼しい顔で登っているので、「調子いいですね」と声かけたら「さっき前を引きすぎた。もう限界・・・」と言いながら下がってしまいました。でもあそこで集団をあれだけ引っ張れたんだから素晴らしいです。
途中までは私も集団に食らいついていましたが、山岳ポイントに近くなって少しずつ集団から遅れ始めてしまいました。前に行ってしまったのは20人くらいか。そして山岳ポイントの直前で赤いジャージが前から降ってきます。何と秋元君じゃないですか。抜く時にどうしたのか聞いてみると、「両足一緒に攣った」とのこと。前半から積極的過ぎるほど積極的だったので、そのつけがこんなところで出てしまったのか。まあ、彼の立場ではこのクラスレベルでは最低でも入賞が義務づけられている、と言って良いので気負いすぎたのかも。
前に行ってしまった集団もリストラモードだったわけではなく、山岳ポイントではさほど離れずに先頭集団から15秒程度の遅れで通過。でもこの差だと下りでは前が見えない。同じような位置で山岳ポイントをクリアした人を吸収してアウター×トップを踏み倒して全力で前を追います。そして補給地点手前でそれまで飲んでいた前半分のBCAAボトルを飲み干し、それまで使っていたボトルを捨てて新たな水をもらったところで、ようやく先頭集団を視界に捕らえて安波 (あわ) への下りにかかる所で追いつくことに成功しました。この下りで先頭集団は30人くらいになったのか。

ここまでの自分の走りと周りの走りを比べると、どうも長めの登りでは他に比べて若干自分には余裕が無い様です。しかし、ここまでのペースが速くて誰もアタックかかりそうも無い。この高速ペースを維持して誰が生き残るかのサバイバルレースになりそうな雰囲気。そしてそのほうが自分としては良さげです。2本目のパワージェルを補給してこの後の高江の登りに突入。ここではメイン集団からは遅れなかったんですけど、80Kmクラスの人が大勢混じる中、頂上近くでドサクサにまぎれて4人の逃げが決まってしまいます。続くアップダウンでも最初は前との差が詰まらずに次第にメイン集団も動きが始まり、自分もローテーションに入って前を追います。ここでローテーションしていたのは5,6人くらいか。前の集団は80Kmクラスの第2集団と合流して少しペースが落ちたようで平良の平地区間の手前でようやく合流に成功。実は追い始めた頃から右足のふくらはぎが痙攣の兆候があり、何とかストレッチしながら騙し騙しの追いでした。

この区間で80Kmクラスも合わせて50人前後の大集団になったところで突然のスローダウン。この後に控えるちょっとしたアップダアウンに備える動きだったんでしょうけど、いくらなんでも25Km/hまで落とすのはやり過ぎ。こんなこと書いている私は集団の中段で前後左右に人がいて身動きできず。この人数ではカウンターでアタックしても抜け出しは難しいかもしれないけど、後から思うとここでアタックしたらどうなっていただろうか?
なんてこと無い短い登りで集団後方で落車があったが、基本的にサイクリングモードで進む間に右足の痙攣は収まってきた様子。そして慶佐次の手前の少し長めの登りでなぜか集団が分裂。集団の中盤で登っていたらそれまで感じていた後ろの気配がなくなったので、振り返ってみると自分の後ろから集団が切れている。さほどペースが上がったわけでもないのに何で?ここで生き残ったのは120Kmクラスの15人位と80Kmクラスの10人位。後半用のBCAAボトルは既に飲みきって、普久川ダムでもらった水と3本目のパワージェルを補給しながら慶佐次の補給地点へ。スポーツドリンクが欲しかったのでTD沖縄のボトルではなくてZABASのボトルを取ったんですが、中身は水でした・・・。そして自分の登るスピードと周りの人、そしてボトルを持つ人との位置関係が上手く合わずにここで大きくスピードダウン。集団からまたしても遅れ、30m近くの差が開いてしまう。ここまで来て遅れるわけにもイカン、と必死の追走で無事に頂上手前で集団に復帰。何か危ない状態ですなあ。

そしてとうとう残り20Kmの看板と共に最大の難所である源河に到着。ここでサバイバルできれば後は平地区間なのでゴールまで集団でいけると思いましたが、再び集団から微妙に遅れ始めます。少しずつ差が離れていくんですけど、これについていける余裕は無い。同じように微妙に遅れている数名と一緒に精神的に切れないように追うんですけど、一番きつい長くて2段目の坂をクリアした時点でカーブ1つ以上の差になってしまいます。多分、前との差は1分ちょっと。最後の登り返しで完全に前が見えなくなってしまいました。下りで気合を入れて追いましたが、前が見えるまで追いつくには距離が短すぎたようです。ここでレースは終わり。

平地区間に入って遠くに集団が見えますけど、あちらは20人、こちらは千切れ組5人。しかもそのうちの2人はすぐに足が攣ったのかいなくなってしまって最終的に3人。向かい風がそれなりにあるこの区間でこの人数差では前との差が開くばかり。最後に一緒になったのは80Kmクラスの869番氏と120Kmクラスの高校生。高校生はローテーションの組み方がわからないのか、ペースの上げ下げが激しいし、869番氏は脚にきている様子で無理できない感じ。ここからの10Km以上を1人で向かい風の中を進むのはつらいので、この3人でローテーションを組むべく声をかけながら陸橋、その後の平地は自分が主体になってペースを維持、と言っても35-40Km/hが精一杯です。植物園の坂で一旦869番氏が千切れかかりますが、離れて欲しくないと言うより、こちらも脚が限界になってきていて離すことが出来ない状態。この後はゴールの名護市民会館まで2Km。前方に僅かながら集団が見えますけど、もう人数さえわからない程。ゴールは若さで高校生が先着して私がその後、少し離れて869番氏の順でした。結局先頭から2分58秒差の12位でした。昨年とは条件が違うので何とも言えませんが、昨年より15分以上も速いタイムでしかも昨年の優勝タイムより早くゴールできたこと自体は満足。ただ源河であと一息踏めなかったのが修行が足りない部分ですね。

ゴールしてからは知り合いの人と若干話をしていましたが、今回はこの後に東京に戻らなくてはいけないので、話も早々に切り上げてオクマから移送されてきた荷物をピックアップ、ゴールしていた梅田さんやノリさんに自転車を見てもらっている間にタクシーを呼んで自転車のハードケースを元々宿泊予定だったホテルに運搬 (ホテルから宅急便を発送する手筈になっていた)、そしてそのまま会場にトンボ返り、と慌しかったです。その中で2週間前に額に9針縫う交通事故にあった、という丹下さん@FUKADAまじりんぐ、そんな状態でよく200Kmを完走しましたね・・・。

ホテルでは御木さんが既に戻っていて部屋を借りてシャワーを浴び、自転車の梱包/荷物の梱包を行ってから皆で再び市民会館へ戻って閉会式へ。とは言うものの、目的は会場で供される豚の丸焼きとビールなのは言うまでもありません。会場近くで調理した豚の姿焼きをその場でシェフが包丁で切り刻んでそのまま食事。ゴール後、慌しさにかまけてパワージェルしか補給していなかった胃にはピラニアに襲われたかのような残骸の横に落ちていた肉屑も素晴らしく美味。それにビールと泡盛まで飲んだら完全に酔っ払い。そんな状態で今回お世話になった和田サイクル一同や藤田さん@スポーツバイク マツナガと歓談。200Kmクラス参加の藤田さんはJCRCで同じBクラスとのこと。これからよろしくお願いします。

会場横のバス停発17:58の高速バスで那覇空港へ向かい、20:55の飛行機で羽田着は23時過ぎ。そのまま事務所へ向かって一仕事してから近くのカプセルホテルで宿泊が25時過ぎ。レースも疲れたけど、帰りの移動もつらかったなあ。疲れたけど、やれば出来るじゃん。


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