2005年11月13日
結果 32位/300人エントリー(92人完走) 3h19m46s752 (10m52s遅れ)
11月11日(金)
3回目のTDおきなわにして初の金曜日に沖縄入り。今回は家族を連れての移動で、子供に移動によるストレスをためないように、そして結果的に自分にストレスがかからないように考えての行動。
雨雲垂れ込める羽田を後にして2時間半後、南国の夕焼けの中を那覇空港に到着。ターミナルに降り立つと毎年のことながら熱気が襲ってきます。預けてある荷物を待つ間にトイレでシャツを脱ぎ、ズボンを履き替え、足元もサンダルになってすっかり真夏の格好に。日本最西端の駅からモノレールで市内のホテルにチェックイン後、同じように金曜日移動のKMC沖縄ツアー参加の丸山夫妻、伊奈さんと合流して国際通り沿いの居酒屋にて夕食。ジモティが多く訪れている店のようで、沖縄料理がおいしい。これがレース前じゃなければ泡盛で大宴会になりそうな雰囲気だったけど、自粛。
ホテルに戻って午後10時過ぎには沈没でした。11月12日(土)
10時前に丸山夫妻とホテルで待ち合わせ。タクシーでレンタカー屋に向います。今回のKMCツアーは合計7名参加ですが、荷物の積載も考慮して最大で10名乗れるハイエースを借りています。実際には各自の持参荷物量は大した事無かったのでここまで大きな車はいらなかった、と一瞬後悔したけど後の祭り。でもこの大きさが後になって胸をなでおろす事態になるとはこの時点では誰も知らない。
空港で伊奈さんと合流。そしてこの日に沖縄到着の先田さんも拾って出発。高速前にファミレスで昼食でも、と思っていたけど那覇ICまでに適当な食堂が見つからずにそのまま高速にイン。伊芸SAで昼食。他の人たちは豆腐チャンプルー定食なのに我が相棒はラーメンセット、そして私はカツカレーとなぜか仲間外れ。昨夜に沖縄料理食べたからここでは普通の食事にしようと思ったところが似たもの夫婦ですかね。
午後2時頃に名護市民会館に到着。早速受付をしてから知り合いを探してみるけど、ほとんど見かけず。それでも梅田さん@和田サイクルに電話すると、橋本さん@ヤマダレーシングや昨年も一緒だった今村さん、カゼさんも既に名護入りしているらしい。オクマでの再開を約束して、サイン会を開いていた別府君@ディスカバリーチャネルにサインをもらったりして多少時間を潰してからオクマへ・・・のはずが問題発生。
丸山さんの自転車が明日宿泊予定のかりゆしリゾートにあると言う。なぜ?(→ 私の連絡ミスでした)
オクマとは逆方向のかりゆしリゾートへ出向いて自転車を入れたハードケースを回収。この時に人数分ギリギリの車だったら荷物を積めない所でした。コースの解説などしながらオクマリゾートに着いたのは午後4時を過ぎた頃。チェックインしてから体育館で自転車の組み立てを行う。某自転車店のスタッフにシマノ用のスプロケ工具を貸したりしていたらすっかり陽が落ちてしまっていました。一旦荷物を取りに部屋に向ったら梅田さんのグループがちょうど部屋に向うところでした。そして部屋を聞くと同じ建物の中じゃないですか。そしてこの時に川嵜君@GIROにも遭遇して彼氏の部屋を聞くと梅田さんたちの隣の部屋。すなわち私の知り合い率が異様に多い建物に宿泊することになったみたいです。既に明日のスタート地点まで走ってきたという川嵜君を置いてKMCと和田サイクル、ヤマダレーシング合同で夜道の試走へゴー。
昨年の試走時に起きた梅田さんと私の落車ポイントがあるコースをそのまま進んで「今年は大丈夫かな」なんて言い合っているうちに気付かずに通り過ぎていたみたい。そのまま戻る途中のコンビニで明日の水分、補給食などを買い込みます。
部屋に帰ってから少し休憩してから別室にいた我が妻子と丸山さんの奥様、和田サイクルツアーの面々と夕食へ。
例年、ここで食べ過ぎる傾向があったのでバイキングでも若干控えめに。でも食事が終わって部屋に戻る途中にオリオンビールを買って部屋で飲んでいたら丸山さんがたんまりとビールを買い込んできたので、もったいなくて追加で3本飲んじゃいました。
それでも午後11過ぎには沈没。11月13日(日)
4時半に起床。早速外を見ると雨雲が垂れ込めていてもうすぐ降り出しそう。それでも沖縄北部の天気予報は降水確率20%と言っている。天気予報が当たることを祈るけど、多分、恐らくは雨天のレースになると思われます。2年前より酷くならないことを期待しましょう。
5時15分のレストラン開始時間の少し前にフライング気味に向うと、既に数グループが食事していました。慌てて席を確保して例年通りにパスタを食らう。でも例年と違うのはその量。いつもは朝から満腹に近い状態まで食べてスタート直前まで消化しきれていない感じがあったのです。今年は量を少し控えめ。(結果的にこの判断は間違っていたようですが・・・)
部屋に戻って荷物をまとめてチェックアウト。一部の手荷物以外は全てレンタカーに積み込み、自転車を預け、鍵は後から車で名護に戻る女子供チームに預けていざ出発。バスに乗り込む直前にかなりの雨が降ってきて、なおさら本日のレースが雨天下で行われる覚悟を求めているようです。スタート地点にて自転車を受け取って軽く試走開始。今回の私のゼッケンは536。そして市民120Kmの一番若いゼッケンは531。前年の順位で番号を割り振るので、12位だった私でも前に5人も私の前にゴールした人が参加している計算になります。特に昨年の1位、2位が再び参加。そして噂ではジャパンカップのオープンクラスで完走を果たしたというオッティモの高校生もいるようで、この3名が優勝候補として下馬評が高いようです。そして昨年7位で今年のBiKeNavi群馬で切れのある走りを見せていた水竹さん@たかだフレンドも要注意。
今回の主要装備:
スペシャライズド、ターマックカーボン+7800デュラエース+フルクラムracing1
カーボショッツ×5本+BCAA粉末15g+ZAVAS粉末入り500mlボトル2本市民120Kmは定員250名のはずが、実際に申し込んだのは何と300名。DNSもいるだろうけど、恐らくは280名以上が一斉にスタートする。例年、奥までの下りは危ない走りをする人が多くて更にスピードが速いときはその危険性が更に高まる。試走から帰ってきた梅田さんから「なるしまの数名が最初の下りでペースを上げて集団を分裂させよう、と話していた」との情報もあって緊張感が高まる。
実はバスに乗っている頃から少し腹が減ってきた感じがあった。確かにこの時点で朝食を取ってから約2時間が経過している。レース用に考えていた補給はカーボショッツ4本で1本がお守りの予定だったが、スタートする前にお守り分を食するわけには行かない。それが試走していたら更に腹減り感が増大。出走カードを提出していたら横でビスケットを配っていたので速攻で3個ゲット。持参のカーボショッツ1本とビスケットを食べて幾分落ち着いたけど、朝食が足りなかったのか?
しばらくしてヘリが下から上がってきて国際レースの先頭グループがやってきた。コージ@ブリジストンを先頭に30人くらいの集団が過ぎていく。大騒ぎしている300人の自転車ファンの目の前を過ぎていくのは気持ち良いだろうなあ。そして国際レースのメイン集団が過ぎるのを待って最初はジュニア国際120Kmがスタート、そして市民120Kmが続く・・・はずが、メイン集団が来ない。時折パラパラと数名の集団が過ぎていくけど、大集団とは言えない状態。主催者側もどのタイミングで待機場所から道路への移動を指示して良いのか判断出来ないようだ。多くの人がフラストレーションをためた状態で次第に文句を言うやつも出てくる始末。そして誰かが道路に出た(?)のを合図になし崩し的に300人が我先にスタートポジション争いを始める。そんな中でも国際レースの千切れ組が横を通るものだから片側車線を空ける必要があって、なおさら統率が取れない。
すると唐突にジュニアがスタート。で、次はこちら・・・のはずが、何と10分後に通過の市民200Kmを先に通してから120Kmがスタート、との事。この主催者の言葉に一部の参加者が爆発。「危ねぇ!(確かに市民120Kmが道路に広がっている横を何も知らされていない市民200Kmの人が通るのは危ない)」、「足切りがきつくなるじゃねえか!(市民200Kmの先頭集団とのタイム差で足切りタイムが決定されるルール)」。
市民200Kmでは杉浦さん@マリアローザが単独で先頭通過し、そのすぐ後ろからO-ベスト4人!と白石さん@シマノドリキングだったか。1分弱の遅れで40名くらい?のメイン集団が通過。その後から先頭集団から千切れた人が続々登ってくる中、こちらでは次第に「もう止めろ!スタートするのは!」なんていっている人間も出る始末。そんな大混乱の中、唐突にスタートの号砲が鳴り響きました。私は再び腹減り感に襲われてもう1本のカーボショッツを流し込んだ直後で完全に油断していて、クリートがすぐにはまりません。せっかく集団の前方のほうに並んでいたのにあっという間に中段近くまで下がってしまってからようやくスタート。大混乱だった割には落車などの事故は無く、すんなり出られたようですけどあまりにも唐突のスタートでした。 最初の300mの登りで多少抜き返したものの、心拍も上がっていないこんな状態での下り、どうなることでしょうか?
恐れていたいきなりのペースアップは無く、淡々と集団は下っていきます。そして毎年恒例のカニさん走りをする方 (横移動を繰り返す御仁) の数もいつもよりは少ないようです。それなら、というわけでそれまで集団後方で見ていたのを移動して集団内、30番手辺りまで順位を上げます。どうやら次第に迫り来る雨の気配でスローペースだったようです。
ダムから下りきって細かい登り返しが続く区間で周りを見ると、スタート前にほとんど見かけなかった530番台のゼッケンが集まってきています。まあこのペースなら当然だな。先に普久川ダムを通過した市民200Kmの千切れ集団を抜くときに声を掛け合って集団が右に左に移動していく、なんて光景もあって気持ちよく奥の関門地点の手前まで来ました。でもこの関門はスプリント賞が設定されているんです。突然数名が後方から現れてきて目の前で横に動いて路肩すれすれで前へすっ飛んでいきました。なかなかに危ない光景です。関門を過ぎてすぐに奥の登り。登りになると同時にとうとう雨が降ってきました。集団はそれまでのスローペースで脚が残っているのか、若干速めでの登坂だけど遅れるほどの速さではない。周りを見ていると自分の走りは決して悪くは無いようです。それでは、と先頭付近まで位置を上げてスピードを上げて引いてみる。後方から「前、速すぎるよ」との声もかかるが気にせず前を引く。雨は弱まるどころか既にシューズの中まで雨が染みている状態です。前に2,3名が一瞬抜け出すが、そのまま放置。どうせこの雨と集団の人数ではまだ逃げられないって。
下り始める前に先ほどの2,3名も吸収されて一気に辺戸岬へ下りますが、雨脚も強くなってきました。そして宣名真トンネルを抜けたら・・・煙幕張っているかと思われるほどの豪雨。顔、体に当たる雨粒が痛いです。この平坦区間も雨のせいか、あまり集団内での大きな動きが無いまま推移のはずが・・・突然前方にこちらとは明らかに速度差がある人達が出現。市民80Kmクラスの千切れ組でした。その状況を把握した頃にはすぐ前に80Kmクラスのメイン集団が道いっぱいに広がっています。ここでようやくカーボショッツを補給。
80Kmクラスの右側に突っ込んで抜きにかかる120Kmクラス集団。あちらは道の2/3以上を使ってこちらは右側で1列棒状になってしまう。この時点では30番手辺りだったけど、道幅が広がったところで一気に10番手辺りまで順位を上げる。この頃に80Kmクラスに参加の丸山さんの姿を発見。この雨の中、彼も先頭付近で巡航中だったらしいが、後ろから120Kmクラスが近づいていたことを知らなかったらしい。
ここでとうとう普久川ダムへ向う登りに突入。ポラールのデータを見ると、ここまでの平坦部はこんな天候にもかかわらず昨年とほぼ同じ速度で推移したようです。左カーブでは集団の所々から「カーブはゆっくり〜」と声を掛けながらの走行。最初の緩ゾーンで集団の先頭付近まで位置を上げる。ここまでの展開は2年前を上回る大雨と言う予定外のことはあるにしろ、レース前に自分で思い描いていた通り。後はこの登りを集団内でクリアして最後の源河で食らいつくのみ、だったはずですけどね・・・。
雨はまだ降り続いているけど、登りではあまり気にならない。恐れていた雨天時の路面抵抗の低さもシッティングで進む限りは気にするほどではない。序盤の勾配が急な辺りも難なく先頭付近でクリアして良い感じ。しかし、この後で急にきつくなってくる。"スピード速いんじゃない?"という想いが急激に湧き上がってきて徐々に集団内での位置を下げ始めてしまう。そして山岳ポイント手前1Km辺りの再び勾配がきつくなる場所で集団がペースを上げたのに、まったく反応できず、というより失速してしまいました。
丸山さんはまだ集団の最後方で頑張って付いているのが見えるけど、こちらは完全に脚が止まった状態。あっと言う間に集団の姿が見えなくなってしまいました。この時点の先頭集団は80Kmクラスは10名程度、120Kmクラスは15名程度は含まれていたでしょうか。入賞の望みがなくなったことが分かって更に失速。そして失速した直後に驚愕の193bpmを記録しています。どんなレースでも183bpm以上になることがほとんど無い私にはこんな値は今までに見たことがない数字。どうしたんだ? 自分の体に起きた突然の変化に混乱しつつ、斜行しそうになりながら何とか山岳ポイント通過。
レース後に水竹さん (昨年も今年も7位!おめでとうなのか、残念、なのか・・・何も言えません) に取材した時に聞いた状況と後で見たデータからすると、失速したポイントまでは昨年と同じ、いや若干遅いくらいのペースでした。(それでも水竹さんは私が切れた一瞬のペースアップ時以外は全てアウターで上り切ったというから彼氏の登坂能力も大したものだ。) そんな中で登りの途中できつさを感じた、というのはどういうことでしょう。1. 自分が弱くなった
2.先週の疲れが抜けたようでまだ残っていた
3. 序盤で動きすぎた
4. 補給が足りなかった (雨だったとは言え、レース始まってからカーボショッツ1本と水150ml程度・・・)恐らく上記の全ての要因が絡み合ったものと思われます。色々な要因はあるにしろ、これを乗り切れなかったのが今年のレースでした。
一気に速度が遅くなった為にサングラス内に空気の対流が無くなって曇ってしまったので、山岳ポイントで一旦サングラスをジャージのジッパー部分に挿して下り始めますが、雨脚は更に強くなっていてブレーキは効きずらいは、雨粒が目に入ってコンタクトが目から浮いてきて前は見えないは、で後ろから次々に抜かれます。慌ててダムの補給所手前の登り返しでサングラスを掛けなおしてようやく落ち着きました。ここまでに摂取した水分が少なかったのと豪雨でハンドルを離したくなかったので補給所では何も取らずに通過。
もうあとは落車しないで完走を目指すのみ、と目標を切り替えて豪雨の中、高江に向けて下ります。最初は単独だったけど近くにいた数名が自然と集まってきてローテーションを組み始めました。でもこの雨の中、各人のコーナリング速度が違っているので多少距離を置いての集団走行。今回のような雨でも78デュラはかなりの制動力を発揮してくれたので2年前とは比べ物にならないくらい楽ですね。これが77デュラだったら・・・と思うとぞっとします。単独で前を走る人達を次々に吸収しながら下っていき、高江の登りに差し掛かる頃には200/120/80Kmクラスの人が入り混じる15名くらいの集団になっていました。前との差を考えるとこの集団が第2集団になるはず。まあ集団の大きさに関わらず前を引くのはせいぜい5,6名なんですけどね。そして下りながら集団が大きくなってくるに従って "これなら前の集団に追いつかないまでも差を縮めることは出来るな" と思っていたのは事実。でも、一緒に集団の前の方を走っていた松下さん@チバポンズの参戦記に書いてあるような強気の言葉 (レース後に私が言ったらしい・・・けど記憶が飛んでいます) のような気持ちではなかったことをここに告白します。
高江の登りでは松下さんが若干先行気味に進み、私もほぼ先頭付近でクリア。この時点ではまだまだ集団の中で私の登りは悪くないようです。そして細かなアップダウンが続きながら海岸線へ。ここで後ろを見ると4,50名くらいの大集団になっていました。何だよ、いつの間にこんなに長く金魚の糞が繋がっているよ。お前ら、ずっと楽してきたんだなあ。
海岸に出る直前で前に3名の80Kmクラスの人が前から降ってきます。何と、一人は普久川の登りで先頭集団についていったはずの丸山さんじゃないですか。追いついて事情聴取すると、下りに入ってしばらくしてからパンクして主催者から借りた車輪に交換したものの、ついに前に追いつけなかったとの事。そして借りた車輪は9速で中間の歯が変速ピッチが合わなくて使えない、との事。そう言えば、こんな雨の中でも私の目には落車やパンクは遭遇しなかったのに何たる不運。海岸の平坦部では集団内の数名から声を掛けられながら進むと、沿道から「前との差は1分半!」との声がかかる。その直後に遥か遠くに50名くらいの先頭集団が見えて一瞬いきり立つ第2集団の面々。それでもまったくペースアップしないんだよなあ、この集団。私はこの時点ではもうかなり脚に疲労感があって一定ペースでローテーションするしか出来ない。
そしてとうとう慶佐次に差し掛かる。一応、集団の先頭付近で登るが、この時点で自分の源河の走りが想像できた。もう強くペダルを踏む力が残っていないんです。源河の1段目にある補給地点ではアクエリアスを何故か「ポカリ!」と叫ぶボランティアからボトルを受け取り (この時点でようやく最初の1本目を飲み干した) ながら緩斜面を進みますが、気を抜くとずぶずぶと後方に下がりそうです。
少し下っていよいよ一番きつい2段目に突入。
登りに入ったとたんに、早くも予定通りに集団から遅れ始めます。こうなったらもう結果なぞどうでも良い。かなり雨脚の弱くなってきた登りを再び斜行しそうになりながら進みます。坂の中盤でさっきまでいた集団はもう見えなくなり、さっきまで一緒に集団を引いていた数名も近くにいました。同士、頑張ろうぜ。
例年通りに坂の途中で陣取るなるしま応援団が投げ掛ける「あともう少し!」という言葉に反応する余裕もなし。もう本当にペダルを踏む脚に力が無い。今年の源河は今までで一番つらいです。それでも前に進めばいつかは峠を越える。短い3段目の登りは勢いでクリアし、あとは最後の平地区間を残すのみ。下りで3名ほどの小集団になりかけるけど、いま一つ意思統一できなくて単独気味に海岸沿いの道へ慎重に左折。ここでようやく小集団が固まって進み始めました。少しずつ前で単独で走っている人を吸収しながら10名程度になったでしょうか。
最初は集団にいる全員がローテーションに加わっていましたが、それもすぐに崩壊して結局3名程度しか前に出てくれない。それでも他の人に声を掛けながら何とか植物園横の短い坂まで到達。疲れていてよせばいいのに先頭固定で登りきってあとは残り2Km。何となく単独で集団から離れてしまって後ろを振り返っても誰も追ってこない。"何だよ、放置プレーかよ"と半ば自棄になってそのまま単独でゴールを目指す。
そして残り500m辺りで後ろから集団が追いついてきてそのまま私を追い抜こうとする。おいおい、ここまで人に散々引かせておいて最後だけ前に行くのかよ、それは無いんじゃねえかい?、と思ったがあえて言葉には出さず。そのまま集団後方のままゴールラインを通過しました。ゴール近くの沿道には妻子とこの日の為に見に来てくれた義父母がいて、その姿を見るとどっと疲労が襲ってきました。
レース展開は悔いが残る部分が多かったが、こんな悪条件の中で怪我無く完走出来ただけでも良しとせねばなるまい。
先にゴールしていた市民200Kmの知り合い数名と歓談。そして忘れてはいけないのは夜の宴会準備。と言っても最初からどこかの宴会に紛れ込むつもりでいたら、奈良さん@チバポンズ (念願の5位入賞、おめでとうございます) と高部さん@リマサンズを発見。飛び入りでの参加希望を快く受けていただいて感謝。KMCツアーの面々は80Kmクラスの丸山さんは源河で集団についていったようで、15位。本人はパンクが無ければ入賞だった、と申しております。市民120Kmの先田さんと伊奈さんは先田さんが途中で路肩に押し出されて後輪が浮くほどの衝突をしたようですが、無事に完走。伊奈さんは残念ながら途中リタイヤでした。
やはり今回の80/120Kmクラスは足切りがきつかったようでそれぞれ1/4と1/3しか完走できなかったようです。スタートの混乱が無ければもっと多くの人が完走できただろうに・・・。これが公道を使用するレースの宿命ですね。弾丸ツアーで今夜帰京する先田さんとハードケースをなるべく早く自宅で受け取りたい丸山さんがゴール地点横で自転車の梱包作業をしている間に食事してから自走でホテルへ向いました。この時にはすっかり雨は上がって南国の太陽が降り注ぎます。そして風は南風。自分が進むのは南。そう、完全に向かい風です。ぐしょぬれのシューズを妻に預けてサンダル履きの脚ではペダルを上手く踏めません。まったく平地なのに20Km/h以下のスピードでヘロヘロになってホテルに帰ってから、諸般の事情で皆さんが帰ってくるのを待って、自転車を梱包していたらシャワーも浴びていないのに16時を過ぎてしまいました。昨日のオクマで一緒だった和田サイクルツアーの面々や市民200Km参加の御木さん@和田サイクルなどがいるはずの後夜祭にはもう行けないじゃないか。
先田さんは既に那覇行きの高速バスに乗ってしまったし、丸山夫妻は名護市内の知り合いの店に行ってしまったし、我が妻子は義父母と一緒にどこかに行ってしまった。仕方ないので部屋でウダウダしてからホテル近くにある海物語へ伊奈さんと二人でゴー。奈良さん主催の宴会だけで40名以上、すぐ横にいたキナンCCD+ブラームス+土肥志穂さんが20名くらいで総勢60名以上で大騒ぎ。色々と興味深い話もあったけど、それはここでは伏しておきましょう。とにかく色んな人としゃべってビールと泡盛を飲みまくった宴会でした。
1次会が終わって部屋に戻ってからも缶ビールを飲んで23時頃に沈没。
11月14日(月)
完全な二日酔いで起床。 プール沿いのレストランで朝食を取り、9時のバスで那覇に戻る伊奈さんを見送った後に丸山夫妻と我が妻子と共にチェックアウト。向かうは美ら海水族館。私は完全な二日酔いで車も運転できる状態じゃなかったので丸山さんに運転してもらいました。前売り券を買うところで休憩時間が延びたのも気分が悪くなった私のせい。大変申し訳なし。途中、結構な数のロードレーサーを見かけましたが、昨日あんなレースしたのに皆さん自転車が好きですね〜。2年前にもここには来てジンベイザメやマンタが泳ぐ姿に少なからず感動したけど、家族を連れて来るのも違った感慨があるものですね。館内では見知った顔を多く見かけたけど、皆が笑顔。やはりこの "ツール・ド・おきなわ" というイベントは時期的にもシーズン最後のレースで開放的になれることもあるけど、このレースを目指して1年頑張ってきた結果をレースで共有したからこそ味わえる一体感があって病み付きになります。
15時過ぎの飛行機に乗る丸山夫妻を那覇空港に送ってレンタカーを返却。今夜の宿泊ホテルであるナハテラスへ。それなりに有名なリゾートホテルなのに住宅地の外れにあるのはかなり意外。それでも設備やサービスは素晴らしいものがありますね。夕食は近くのDFSで夜風に吹かれてのんびりと。
11月15日(火)
チェックアウトが12時だけど、朝食が10時までなので8時過ぎに起床。NHK教育テレビの子供番組を見てから朝食を取る。良いホテルだと食材からして良い物使っていますね。非常においしく頂いてから部屋に戻って二度寝。チェックアウトして今日もDFSに出向いてお土産などを購入。
夕方に羽田に戻ってきたら、思いっきり寒いじゃないですか。着陸前に機長が「羽田の気温は12℃です」と言った時は耳を疑ったけど、どうやらウソじゃなかったらしい。最近のJALはゴニョゴニョだから・・・ですよね。