2006年11月12日

ツール・ド・おきなわ

結果 69 位/330人エントリー(206人完走)  3h55m14s521 (13m7s遅れ)

今回の主要装備:
スペシャライズド、ターマックカーボン+7800デュラエース+フルクラムracing1
カーボショッツ×6本(実際に消費したのは3本)

今年は2月に鎖骨骨折して前半は全く自転車に乗れず、復帰しても仕事や天候の関係で自転車に乗っても走れない日々が続いた。8月の時点では今まで考えたことがなかった市民130Kmクラスの途中リタイヤという最悪のケースも頭をよぎるほど。

この状態で例年通りに練習しても結果は残せない。

8月の終わりにペダリングを含めた体の使い方の修正を決意して9月いっぱいまで1ヶ月は負荷をかけずに修正ポイントを追及。10月になって2つの長距離レースと週末の出稽古を通じて(良い結果は残せなかったけど)少しずつその修正が形になりつつあることを実感していました。そして11月に入ってからは2ヶ月間の蓄積を信じて充分な休養を取ったつもり。

その甲斐あってレース当日には疲労感も無いし、前日の試走でも脚の回転は絶好調まではいかないものの、間違いなく良い感じ。体調には過去3回の状態より良い。
そう、今年の狙いは今までの成績を上回ること。ということは入賞ラインを目前にした走りをする予定でした。

昨年までの市民120Kmから今年は距離が伸びて市民130Kmとなり、コースの攻略ポイントは当然、2回に増えた普久川ダムへの登り。今回の体調ならここを先頭集団 or 先頭集団付近でクリアすれば何とか源河の勝負に持ち込めるはず。
その自信はあったはずなのに・・・

例年通り、前日に名護で受付を済ませてからオクマ・リゾートに移動。でも今年は名護で自転車を預けて主催者の用意したバスにてオクマに向かいます。実は、午前中に自転車を組み上げて試走を開始した時には夏の日差しで気持ち良い天気だったのに、途中でにわかに上空が厚い雲に覆われ、強風と共に雨に降られる始末。雨は局所的だったけど、風は相変わらず強く、気温も次第に下がりつつあってTシャツに短パン、サンダル姿でのバスの中では寒さで震えていたほど。
この寒さは夜になっても続き、焼肉を基本とした夕食を食べた後も散策することもなく早々に部屋に引きこもる状態です。
今までのTD沖縄では夜に多少涼しくなる事はあっても寒さを感じたことは一度もなかったこともあって防寒着は前日に宿泊した名護のホテルに預けたまま。何よりもレース中の防寒着を全く持っていなかったので、心細いことこの上ない。朝には気温が上がっている事を祈りながら22時頃に就寝。

そして4時15分のアラーム音で起床して外を見ると、昨夜と変わらない気温と強風。この時点でかなり気分が落ち込んでしまう。5時の朝食開始にあわせてホテル内のレストランに移動する間も風が体温を容赦なく奪っていく。
暗い気持ちで朝食を取り、部屋で着替える。今回はKMCから4名(丸山、井上、岩佐:市民130Km  赤壁:市民80Km)が参加している。中には初参加の人もいるのに、私だけレース装束の防寒着なし、という失態。この事実にも打ちのめされていたら、なんと丸山さんがホットバルムを持参しているという。早速借りて手足に刷り込んだら、なんだか前向きになってきた。
手持ちのビニール袋をジャージのお腹に仕込んで風対策を施してから預けてある自転車を取りに向かう途中もさほど寒さを感じないで済んだです。これは本当に丸山さんに感謝ですよ。

6時過ぎに自転車を受け取ってスタート地点でもあるホテルからすぐ近くの道の駅に向かう。今年はスタート地点が近くて移動が楽。ようやく陽が出て明るくなった時点で軽くウォームアップを開始。このときに一緒だったのは丸山さんとshozoさん@なるしま。2年前におばちゃんに引っ掛けられて危うくDNSになりかけたコースを逆送。今年は何も起きないように周りを注意しながら走っていたら、後方から路面を横切る排水溝を過ぎた辺りで金属音が。なんと、shozoさんのキシリESの後輪スポークが折れて路面に落ちています。しかも真ん中からグニャリと曲がった状態。何が起きたの?当然、ホイールは振れまくりでリムがブレーキに当たるほどになっています。このコースは何か呪われているのかも。
shozoさんはすぐにスタート地点に戻って器材車にてホイール交換とRD調整して戻ってきたけど、スタート前に処置が出来て良かったですよ。

その後は知り合いを見つけて邂逅を喜んだり、お互いの調子の探りあいをしながらスタートを待ちます。

自転車はスペシャの2005年モデルのターマックカーボンに78ヂュラ、ホイールにはフルクラムのRacing1でタイヤはシュワルベのステルビオという仕様。

国際が過ぎていき、ジュニア国際がスタートしてすぐに市民130Kmも道路に移動。今年は大きな混乱もなくスムーズにスタート。(実は丸山さんがトイレからなかなか戻ってこなくて井上さんと2人で彼氏の自転車をスタート地点に移動したことを、ここにワールド・ワイドに晒してしまおう(^^))

集団中盤からのスタートですが、向かい風が強いために集団のペースは遅い。2つのトンネルを過ぎてすぐに1回目の登りになります。麓で集団前方に移動していたおかげで一定速めで登る先頭集団の中で終始20番手前後でこの登りをクリア。この時点では集団から遅れる気配を微塵も感じない。頂上では40名ほどが集団で後ろは一列棒状になっていたみたいだけど、どうせこの後の奥への長い下りで大集団が追いついてくるのは分かりきっている。途中、数名が飛び出しを見せるけど、相変わらず止まない強風に阻まれてすぐに集団に戻ってくる。
奥のスプリントポイントの手前で後方から追いついてきた大集団に混ざりながらの登りも80%程度の力で終了。ここまでは良い感じ。
例年よりスローペースだった宣名生からの平坦区間を過ぎて2回目の普久川への登り。相変わらず先頭集団で登る。しかし、山岳ポイント手前で次第にきつくなってきて無理せずに少し集団から離れつつ遅れ過ぎない事を心がけて力を温存。山岳ポイントは先頭集団から30秒くらいの遅れで通過。これから始まる個人的に得意な長い下りで十分に追いつけるタイム差、のはずが・・・

ここで誤算だったのは

1. 前にいた先頭集団が40人近くと思ったより大きかった
2. スタート時点から続く強風が肝心な区間でも向かい風だった

という2点。例年なら何もしなくても70Km/hオーバーで下れるこの区間なのに、アウタートップで踏んでも強風に戻されて65Km/hちょっとしかメーターが示さない。前から落ちてきた千切れ組を吸収しながらようやく追いついたのは安波の登りにかかる直前。ここまでで想定外に使いすぎてしまった脚に力は戻らず、人数の力であまり力を使っていなかった集団が登り始めた瞬間に先頭集団から即切れ。離れていく集団はさほど速いと思えなかったのに、付いて行けないもどかしさ。
安波を過ぎてもしばらく集団が前に見えるものだから頑張って前を追ったけど、とうとう見えなくなった。その頃から向かい風の中を20Km弱の単独走行を強いられ、平良のCP手前で追いつかれた第2集団にも源河で付いて行けずに再び千切れる。

結果的には"先頭集団付近"ではダメだった事になります。死に物狂いで2回目の普久川で集団に付けばよかったし、出来たはず。体調が良かったことを過信しすぎたのかもしれない。
後方から現れる知り合いが私を抜く時に「おっ?」とか「あれ?」とか言いながら過ぎていくのは悔しかったなあ。

それでも源河では弱ったなりに登れたし、追い風になった最後の平坦区間でも40Km/hオーバーを維持できた。展開の読み違いはあったけど、現時点の力は出し切れた、と考えるしかないでしょう。来年に向けては幾つかの反省点が見えたので、それを克服してまた挑戦するつもり。


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