2007年11月11日

ツール・ド・おきなわ

結果 20 位/320人エントリー?(182人完走)  3h49m17s222 (5m41s57遅れ)

今回の主要装備:
スペシャライズド、ターマックカーボン+7800デュラエース+ボントレガーRace X カーボン
カーボショッツ×5本

今年もやってきました私の年間目標であるツール・ド・おきなわ。
2度目の普久川ダムの登りで情けない有様で集団から千切れた昨年の屈辱を晴らすべく、今年は昨年比5Kgの体重減を実現し、他チーム (主に厚木のチーム スキップさん) の朝錬に出稽古して強度と距離を稼ぎ、更に秋口のレースで現時点の展開力、決定力を確認してそれなりの手応えを感じての沖縄入りです。レースの展開や年々レベルアップしている他の参加者の動き次第ではありますが、優勝は厳しいにしても入賞ラインの争いには絡めるだろうと思っていました。
結果的には最初の思惑は実現できなかったけど、それを実現するまでの道筋は過去の参戦と比較してはっきりと見えた気がします。あとはその道筋を辿る事が出来れば結果はついてくるはず・・・ですが、それが出来れば今頃はもっと強くなっているよって話。でもそれに向けて練習環境も含めて見直さないと進歩が無いよね (と自分に言い聞かせてみる)。

(金曜)
今回はKMCからは4名の参加&観戦者6名の合計10名でツアーを構成しています。我が家は妻子と私の3名。参加者別に那覇に向かう飛行機が違うので現地で集合することにしてバスを乗り継いで昼頃に羽田に到着。14:25発のJAL機にて曇り空の中を夏の沖縄に向けて出発。
私は自転車を機内持込みにするとレンタカーもより大きい車にサイズアップが必要だし他の重い荷物と一緒に引きずって移動はイヤだったので、業者(JAL ABC)に任せてしまったのですが、今年は事前に自転車を送る人が減って機内持込にて沖縄入りした人が更に増えてしまったようです。ANAと西武運輸が提供していたスカイポーターが比較的格安だった自転車運搬のサービスをやめてしまった昨年から荷物の積載に時間がかかって一部飛行機の運航にも影響がでているらしい。実は西武運輸が(特別に?)かなり格安料金で復路の自転車運搬が用意した案内が宿泊先のホテルに張り出されていました。来年はその料金プランで往復の運搬を請け負ってくれないかな>西武運輸さん。
那覇で先着していた丸山さんとご両親、そして先田さんの出迎えを受けてこれまた先にピックアップしてもらったレンタカーに乗って名護へ向かいます。一旦ホテルでチェックインしてから夕食の為に事前にチェックしてあった名護曲にて遅れてきた井上家と合流。この店は地元民が集う感じの食堂で手羽先に餃子の具を詰めたものや天ぷらの盛り合わせ、ソーキソバなどの料理もおいしいし、かなり飲み食いしても一人2000円未満という格安さで一同かなりのお気に入りでした。それでもレースを控えているので飲みは控えめで終了。

(土曜)
ホテルの用意するバッフェ形式の朝食はまあ標準的な味。9時頃から先に送ってあった自転車を組立てて10時過ぎにチェックを兼ねて試走開始。今回はKMCから参加の全員が奥間を出発する市民130Kmへのエントリーなのに名護に3連泊なので、状況によってはレース前に自走でスタート地点に移動する可能性もあって奥間までの往復で試走を実施です。
しかし、走り初めてすぐに自走プランが無謀であることを思い知ります。名護から奥間までの30Kmちょっとのコースは海岸線を走り、ほとんど平坦ですが風がかなりきつい。横風、向かい風、何でもありで時にはディープリムの前輪がハンドルを取られてしまうほどの強風に煽られるケースも。レース前にこんな強風を受けて30Km以上も走ったらそれこそレースに影響してしまう。今回は幸いに観戦者が多いのでレース前にレンタカー (ハイエースを借りていました) にて4人4台+運転者で奥間の8Km手前にある大宜味の道の駅まで移動することに決定して試走を続行。自分的にはこれまでの疲労も抜けて向かい風にもかかわらず良い感じに踏めています。うん、調子は悪くない、というよりも良い部類でしょう。
他の人を先頭固定気味に引いて12時過ぎにはホテルに帰着。それまで風は強かったものの良い天気だったのにホテルに近づく頃には空には暗い雲が立ち込め、部屋でシャワーを浴びている間に雨模様に変っていました。危ういところで戻ってこれたみたいです。
2時近くになってレンタカーで受付に移動して帰りにコインランドリーにて午前中の試走で着用したウェアを洗濯。これで汗で熟成されたウェアを帰宅時に見る事態は避けられました(^^)。洗濯の間に近くのレストランで昼食&買出し、そして私は近くのインターネットカフェにPCを持ち込んで片付けられなかった仕事を行う・・・(泣)。
観光から帰ってきた観戦者チームと合流して夕食はまたしても名護曲へ。にんにく天ぷらが絶品の美味さでありました。
22時前には消灯&熟睡でした。

(日曜)
ホテルの朝食が5時に用意されるので、4時半に起床して出発の準備を開始。5時過ぎにはジャージも着用して朝食を喰らいはじめる。昨年までのオクマリゾートの食事だと食事が美味しくて思わず食べ過ぎてしまう事が多かったけど、ここはそこまでの意欲もわかないので適切な量の食事を炭水化物系を中心に摂る。
7時40分の出走表の提出期限を考えると余裕を見て7時過ぎにはスタート地点である奥間の道の駅に到着したい。そして更に余裕を見て6時に自転車を積んでホテルを出発。この日も土曜日以上の強風でフロントガラスに風に飛ばされた波飛沫が付着するほど。6時半には大宜味の道の駅で自転車を下ろして奥間に向かいます。アップも兼ねているので、負荷をかけすぎないように奥間まで抑え気味に走ります。
スタート地点の道の駅駐車場には既に多くの参加者が集まっています。出走表を提出して周りを見渡すとすぐに数名の知り合いを発見。良い場所でスタート地点を確保したい人達が早くも自転車を地面に倒して場所取りをしている横で久しぶりの邂逅をお互い喜びながら調子を探るいつもの光景が始まりました。
(いつものことだが)参加者の事前査定をやっていないのでここで情報収集を行うと、相当数の強豪が今年も集っているみたい。富士チャレンジの200Kmクラス2位の方、先日のJCRC群馬でSクラス3位の盛永さん、私が6位になったレースで4位だった江口さん、VLAAMSのエース山崎さんなどなど錚々たる面子がいます。そしてゴール後に知ったのですが、今年春に初ヤビツで藤棚交差点から売店まで29分台を連発(名古木交差点からだと32分台か)し、大きなヒルクラレースでも常に優勝や上位入賞している高橋さんがいたのです。彼氏の登りはBR-1の中位以上の力があるのを知っていただけに、事前査定でここにいることを知っていたらもう少しレース展開が変っていただろうけど・・ね。

受付も終わって手持ち無沙汰状態で待っていたら、市民130Kmの待機場所が違うことがわかってすぐに大移動が始まりました。それまで少し後ろ気味の場所しか確保できていなかったのに、この移動で最前列近くを確保できたのはラッキーでした。

有力どころが含まれた国際レースの逃げ集団、そして追走集団が過ぎてすぐにジュニア国際の若者たちがスタート。そして次は自分たちが8時35分の定刻通りにスタート。集団の先頭付近で走るものの、向かい風が強くて誰も前を引こうとしない。30Km/hにも届かないスローペースになってしまったので近くにいた数名に声をかけて前に出て若干のペースアップ。そんなまったりした集団後方ではなぜかトンネル内で10名程度が巻き込まれる落車が発生していたらしい・・なんで?
goさん@オーベスト他の有力どころが前を固めていきなりの関門である普久川ダムへの登りに突入です。

事前の予想ではこの1本目はさほど動きがなく2本目の登りからが勝負が始まる、と思っていましたが中盤辺りでryo(とジャージに印刷されていた)さん@Team ARIが少し先行気味になり、その後に一人が追いかけて行きます。ryoさんは集団から見える位置で走っていますが、もう一人の勢いが良い。あっという間に背中が見えなくなりました。しかし、あのペースを追いかけても後半まで勢いが維持できるとは思えなかったのでスルー。しかし、後から思えばあれが優勝した高橋さんの姿を見た最後でした。
集団内では「次の下りか奥の登り、最悪でも集団の威力が発揮できる海岸線区間で捕まえられる」という感じで走って山岳ポイントを通過。自分としてはまだ遅れる気配は無かったけど、ちょっと予想よりも速いペースに感じていた(走行データを解析すると実は昨年よりも10秒ほどしか速くなかった)。横に居た係員が「前と1分差」と言っていたのを聞いても、まだこの先で先行している人を捕まえられると思っていてryoさんを下りで吸収して得意の下りで集団の先頭に出てイーブンペースで下ります。その後にある登り帰しの補給ポイントも集団の5−10番手辺りで通過です。縦長の集団は40名位いたのか?
奥に向かう下り基調の道でも集団のペースは上がらず、しまいにはサイクリングペースに。この時点で後方から合流した人も含む大集団の中を奥の上りも集団前方でクリア。
海岸沿いの平地区間ではこの後に控える2回目の普久川ダムへの登りに備えて集団内で潜む予定が・・・ペースが上がらない集団の前方に思わず移動して先頭交代を始めてしまう。それでも当然ながら脚を残しつつの先頭交代だったので問題は無かったはず・・でもこの辺りの走りが微妙に後半に影響した可能性は否定できない。

そして前半最大の勝負ポイントである2回目の普久川ダムへの登りに突入。この辺りで集団前方にいる人達は当然ながら有力者で、誰もがここが最初の勝負どころなのを知っている。数名が集団から抜け出しを試みてもすぐにチェックが入って抜け出すのを許さない展開に。
私としてはここは無理せずに後半勝負を考えていたのでチェックには行かずに集団内待機しつつ、何かあっても対応できるように常に集団先頭から10m以内の位置で走ることを心がけます。そして30名前後(?)の集団で迎えた山岳ポイントで何と「先頭と2分差!」という驚愕の事実を知らされることになります。実はこの登りでそれまで姿を見せなかった先導の白バイが集団の前に見えてきたので、周りの人と「あれって先頭を引く先導バイクだよね?」なんて話をしながらだったので、すっかり先頭を捕まえた気になっていたのです。そして集団の方が絶対的に有利な海岸線区間で単独の先頭に追いつけないなんて事は考えられなかった、というのもあります。
後から考えれば1回目の登りだけでフレッシュな集団から一人で1分の差をつけた脚力をもっと注意すべきでした。でも追いついても登りの圧倒的な力を見せつけられて終わったのかもしれないけど。

過去の経験から次に控える高江の登りは最初が急勾配だけど、そこさえ凌げばさほど脚を使うことなく集団内に留まれると考えていたのに、今年はここからが例年より厳しい走りになりました。
急勾配区間が終わってしばらく続く緩斜面で例年ならペースが落ちるのに今年はここが速かった。もしかすると先頭との差を気にしてペースアップしたのかもしれないけど、その様子を見ている余裕がなくなるほど追い込まれて頂上付近では危うく千切れる寸前になってしまう。
続くアップダウン区間でも少し登りがきつかったり長かったりすると集団後方にまで追いやられる走りになってしまう。高江まで集団前方で走っていたのにここに来て慌てて集団後方で影を潜めつつ脚の回復を待つ。ここで最初に思い描いていた後半勝負のシナリオが根本から崩れてしまった。
それでも海岸線の平坦区間でようやく脚に回復の兆しが現れてきた。でも復活するにはもう少し時間が・・なんて思っているうちに源河手前の登りに差しかかってしまう。「うう、まだ回復しきっていない・・」と思いながら前を見るとシルベストの選手が勝負をかけてアタック。でもここで遅れるわけにはいかない。他の人も同じ思いだったのか集団のペースが上がってシルベストの選手を吸収。実はここで内腿が若干痙攣気味になっていたけど、ストレッチしてから恐る恐る踏み込んだらもう大丈夫。この程度の坂ならペースを維持できるまでには回復していた。でも距離が長い坂では危なそうな雰囲気、ってもうすぐ最後の勝負どころの源河じゃないですか。
最後の補給ポイントで集団のペースが更に上がってそのまま源河に突入です。

ペダリングに気をつけて効率よく力を伝達しつつ失速しないように最初の急坂を上ります。今まではこの坂の入り口でいきなり集団から遅れたけど、今回は何とか最初の左カーブまでは集団についていけた。しかしアップダウン区間で削られた脚にはそれ以上粘る力が残っていなかった。
急激に脚から力が抜けて速度が一気に3Km/h以上落ちてしまう。そうなるとあっという間に集団の姿が小さくなってしまい、いきなり単独走になってしまった。こうなると前に見えている85Kmクラスやジュニア国際の千切れ組を目標にするしかない。
ヘロヘロにあえぎながら走っていたら後ろからバイクが抜いていく。市民200Kmの先頭を引く先導バイク。その後ろには単独で高岡さんが走っている。その後姿から過去に姿を見た歴代のチャンピョンとは別格のオーラを感じた。ブログによると、どうもこの時点では本人としては乾坤一擲の逃げを行っていたみたいですが、その気迫と力感溢れる走りに今まで感じたことが無い衝撃を受けましたよ。
源河を越えて海岸に向かう下りに入ったところで西谷さん@オーベスト、武井さん@FORZA!、白石さん@シマノドリキングそしてもう一人による後続の4人が追いついてきたけど、こちらは先の高岡さんと比べて走りに力が無い。彼らのすぐ後方に審判車がいて「違うクラスにつかないで」と自分に声をかけてきたけど、前を追っているはずの彼らにほとんど力を使わなくても差が離れない。少しこちらの力を抑えて先に行ってもらったけど、下りきって平坦区間になっても追う彼らに力を感じないし、4人で走っている彼らに単独の私が追いつきそうになるほど。しばらくして白石さんが力尽きて下がってしまった。それまでに相当激しい攻防を繰り広げていたみたいで疲労が滲み出ていた走り。この時点で高岡さんの逃げ切りを確信しました。

他人様の走りに感心している場合じゃなくて自分も最後の力を振り絞って前を追いますが、他のクラスの人は見えるのに130Kmクラスの人はいくらがんばっても見えてこない。唯一、私の少し後に源河で千切れていた盛永さんに追いついたのみ。
ゴール手前で最後に一緒にいた85Kmクラスの人に「家族が来ているから前に行かせて」と頼んで単独でゴールラインを越えました。

今回のおきなわではスタミナおよびパワー不足を痛感。これを克服して来年も機会があればまたここに戻ってきたいものです。


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