2008年11月9日

ツール・ド・おきなわ

市民200Km 結果 72 位/335人エントリー (168人完走)  5h44m33s13 (14m50s96遅れ)

今回の主要装備:
スペシャライズド、ターマックカーボン+7800デュラエース+フルクラム Racing1 w/ コンチネンタル GP4000S
カーボショッツ×6本

かなりの長尺レポートになってしまいました。レース以外のレポートを飛ばす場合はこちら

 

ツール・ド・おきなわを1年の目標レースにしてから早くも5年が経過した。
今まで参加していた市民130Km (2005年以前は市民120Km) では入賞こそ無かったけどそこそこ上位で完走できていたし、このクラスで更なる結果を出す為に必要な力と自分の力量の関係についてもある程度把握できるようになってきた。自信過剰になってはいけないけど、市民130Kmであれば自分の力を必要なところで出し切れば多少レース展開に不安定要素があっても先頭集団でゴールできる目算は見えたと思う。
その目算を現実のものにするのか、それとも"ホビーレーサーにとって最高のステイタス"とも言われる市民200Kmに参加するのか悩んだが、エントリー直前で市民200Kmに決定。多くのトップ・ホビーレーサー達がどのような走りをするのかこの目で身体で感じたかった&自分の力がどこまで通用するのか試したかった、のが市民200Km参加の理由です。
「今までの集大成の走りを披露するぜ」と意気込んで沖縄に乗り込んだのですが・・・。

(金曜)
週末の沖縄天気予報を確認するとどうやら雨模様。事前送付してあったハードケースにはボントレガーのOCLV120カーボン車輪を入れてあって多少の雨でもこれで出走するつもりだったが、出発直前になって急遽フルクラム・Racing1も持参することに決定。手荷物は増えたけど結果的にこの判断は良かった。羽田近くのパーキングサービスに車を預けて機上の人に。
那覇に着くと晩秋の首都圏とはあまりにも違うむっとする熱気に包まれるのは例年通り。しかしこの日は最高気温が30度を超えて那覇の11月としては観測史上最高気温だったようです。4年連続で家族を連れての沖縄入りですが、来年には子供が小学校に上がって休みが取り難くなる&今まで溜めていたマイレージを今回の旅行でほぼ使い切った為、もしかすると家族で行けるのは今年が最後かも。
ゆいレールに乗ってレンタカー屋に移動する間に先に那覇入りしていたKMC先発隊から「名護付近はスコールのような大雨」という情報が入ってきた。結局、我家の移動中は雨に降られなかったものの、途中の高速道路には大きな水溜りがいっぱいあったし、東京付近では見られなくなった大きく円を描く虹もかかっていた事からも激しい降雨の跡が窺えます。
今回の宿泊地であるリゾネックス名護にチェックイン。土曜のシンポジウムにパネラーとして参加する片山右京氏、沖美穂氏が近くで談笑する横を抜けて荷物を部屋に置いてから名護曲 にて手羽ぎょうざ、にんにく天ぷら他をおいしく食して22時前には就寝。

(土曜)
ゆっくりと8時前に起床。朝食を食べてから私は自転車を組み立てに、家族は観光に出ていった。
今まではJAL ABCの国内ドア・トゥ・ドア宅配サービスを自転車送付で使っていたのに、今年になっていつの間にかサービスをやめていたので、宅急便にてホテルに一式を事前送付済みです。だってくそ重いハードケースを自宅から空港まで運び、重量制限他で受け付けてくれるか不明な機内預けを依頼し、更に空港からホテルまで移動 (レンタカーもサイズアップする) することを考えたら多少値が張っても事前送付して身軽に動きたかったんです。でもあまりにもバカ高い (保険込みで片道1万円弱) &時間がかかる(船便を使ったので2週間前に梱包&送付した) ので、来年に参加する場合は違う手段を考えるかも。
気持ちよく晴れた空の下で10時前にホテルを出発。最初に名護市街方面に向かってコンビニで紙パック入りスポーツドリンクを購入して逆戻り。今年は市民200Kmの序盤で通る半島コースをコース視察を兼ねて走る。若干のアップダウンは集団で走れば勢いで走れてしまうだろうけど、この半島区間はほぼフラットと想像していただけにレース前に走っておいて良かった。半島区間が終わって海岸線を源河関門まで北上してから折り返す。
体調は良い。ギヤをかけて踏める感触もある。そして軽くまわしている時も変な引っかかりも無い。自信を持って走れば良い、と単純にそう思えた。
折り返す頃に小雨が降っていたもののそれ以外は気持ちよく晴れていたのに、名護市街に近づくと路面がびしょぬれ。局所的に大雨が降ったらしい。名護市民会館の広場ではテント張り作業中で"受付当日なのに沖縄時間ってのんびりしているよな" と思いながら駐車場横を通ると、コムレイドの山根さんと平林さんがいたので午前中の国際クリテレースの模様を聞く。レース序盤は晴れていたのにその後は大雨と滑りやすい路面の為に落車多発で大変だったらしい。さっきの路面の濡れ方から想像するに相当危険な状態だったようです。それでも観客は大勢いて歓声も凄かったらしい。2人とも落車による怪我は大したことなかったのが幸いでした。
その後、テント設営の影で昼寝している井上さん@KMCを発見。2人で世間話をしている間も市民レースの受付が始まる気配が無い。井上さんに確認すると、今年は例年と違ってクリテ会場で受付している、とのこと。知らなかった。参加表が届いてから1度も中身を確認していなかったことがバレバレです。

慌てて会場に移動して受付を済ませて受付表と一緒に入っていた昼食券を使って近くの居食屋で当日限りという豚足定食を頼んだら・・・頼んだ料理が出てくるまで1時間待ちました。この時間感覚はやはり沖縄ならでは、かな。でも店員のお姉さんがかわいかったから許しちゃおう。
昼食を終えて外にでると、まだ続々と受付に向かう人の中で栄一君@全日本ジュニアチャンプやチバポンズ御一行様等に会って歓談してからホテルに戻って着替えてからスーパーに補給食の買出し&ネットカフェで持参した会社PCを使って仕事メールチェック。

半島1周+源河関門往復+名護市内走行=走行距離:83.9Km

この日に沖縄入りした中西さん@KMCを拾って名護市民球場前の焼肉屋さん?で夕食。本当は名護出身者に聞いた別の食堂に向かったのですが、その食堂は営業を止めて貸店舗募集中になっていた。他の場所でも店舗募集の看板を多く見かけたし不景気の波は沖縄でも吹き荒れているようです。
ホテルに戻って子供と一緒に別館の大浴場から戻る頃には風雨が激しくなってホテル前の椰子の木が大きく揺れている。子供は「すげー」と喜んでいたけど、「雨が降ると沖縄の舗装は滑りやすい」とレンタカー屋でも注意事項として言われたし、過去の経験からも同じことが言える。
子供が海洋博公園でもらってきた"ハワイの守り神、クー"のシールをトップチューブに貼り付けたし、何とかレース時には雨は止んで欲しい。

(日曜)
4時に起床。眠りは多少浅かったけど、時間にして6時間弱の睡眠はレース当日にしては十分でしょう。しかし部屋の中にいてもわかるほどの暴風が吹き荒れているようだし、外を見ると雨もかなり降っている。78デュラになって制動能力が向上したおかげでカーボン製でもアルミ製でも雨天のブレーキング技術には差分が少なくなったのですが、この風ではディープリムのOCLV120はふらつく可能性が高い。速攻でブレーキシューとホイールをOCLV120仕様からRacing1仕様へ変更です。OCLV120には下りが長い沖縄レース用にデュラ11-23Tを導入したけど、この天候ではアウタートップで下ることは無いし、それよりも18Tを使ってより細かいギヤ比を選択出来る12-23Tの方が多少の重量増よりも有利と判断してRacing1には手持ちのアルテ12-23Tを装着。
スキップジャージを着てから4時半過ぎに前日に依頼してあった朝食のサンドウィッチと麦茶をフロントで受け取ってまだ暗い部屋の中で食べる。その間も間断なく風の音が部屋の中でも聞こえる。一応、アームカバー、ベストの防寒装備も持参していたが、ウォームアップオイルで暖を確保し、靴はレインカバー装着に決定。補給食の準備などをしたら5時15分。もうすぐ会場で出走受付が始まるはず。慌てて部屋を出て会場に向かう。
会場に着くと市民会館の屋根があるスペースで参加者達が集まって雨宿りしていた。その中にzuccha氏と奥様のしゅりさんがいたので「受付やるのかな〜」なんて会話しながら時を待つ。6時過ぎに市民200Kmのベテラン選手達がぞろぞろ集まってきてもまだ誰もスタート集合地点に移動しない。センサーチェックもやらないままに選手がようやく並び始めたのは6時半頃だったか。この天候でDNSにした人もいるかもしれないけど、恐らく市民200Kmでも300人以上が並ぶ中で前から10列辺りでスタート地点に向かいます。この時にトップチューブのステムに近い場所にテープでケースを貼り付けていた脚攣り防止用にこの沖縄から導入したエンライテンをどこかに落としていた事に気付いてしまう。若干狼狽したけど、この天候で脚が攣るほど汗はかかない、と思い直して7時ちょうどの号砲でスタート。

前の人がクリートを拾うのに手間取って私もそれに釣られて出遅れたら、あっという間に集団後方になってしまった。走りが上手な市民200Km参加者とはいえ、この気象条件で300人もいたら危険が増える。リゾネックス前を通る2車線道路に入ったところで集団前方まで移動。周囲はホビーレーサーの有名人勢ぞろいで壮観です。集団はアクアタマの数名が積極的に前に出ますが、基本的にサイクリングペース。周りでは挨拶や世間話を始める始末です。すると前が少し離れていってそのまま4名の逃げが決まってしまいました。集団はその逃げを容認して併走するバイクからの情報では最大で4分の差がついたようです。よっしーさん@昨年の市民130Km優勝者が単独で彼らに追いついて5名になった逃げは、それ以上の差が開かないまま推移します。
半島を回りきって大宜味の海岸線では多くの人がトイレタイムで道路脇に並ぶ光景が繰り広げられます。う〜ん、距離が長いロードレースならではです。私もトイレタイムに向かうと横には大村さん@アクアタマが並んでいて、用事が終わって後ろを見ると他のアクアタマの面目が並んで待っています。エースを集団に素早く安全に戻すチームプレイです。彼らの後ろにいたおかげで私もほとんど力を使うことなく集団復帰を果たせました。この時点では集団は相当まったりと進んでいたから単独でも復帰に脚を使う必要は無かったかもしれませんが、それでもこういうアシストがあるのは楽です。
普久川ダムへの登りが始まる前にあるトンネルでは落車を警戒して集団のほぼ先頭で入り、少しずつ有力どころが前に上がってくる中を1回目の登りに入ります。

登りに入ると・・・なんだか速いんですが。集団効果でついていくことは出来るけど、とても前に出られる速度じゃない。それでも周りにはまだ40−50人残っている感じ。これがツール・ド・おきなわの市民200Kmか。次第に集団の最後方が定位置になり、山岳ポイントまで残り1.5Km辺りでついに千切れた。まだ集団は30人くらい残っているだろうか。ギリギリ視界に集団が見える位置で粘っていたらいつの間にか山岳ポイントを通過。この時点で観戦者から「集団と30秒差」と言われる。後でデータを見ると昨年に130Kmの先頭集団で登った区間タイムよりも20秒ほど上回っていたのに、それでも30秒遅れた。これがツール・ド・おきなわの市民200Kmか、アゲイン。
この天候では集団の下りは速くないはずで、上手くいけば補給ポイント過ぎで追いつけるだろう。周囲にいた市民200Km千切れ組を少しずつ抜かしながら下っていたら、後方から物凄い勢いでなるしまジャージに抜かされた。見ると過去2回優勝の福田さんじゃないですか。依然として顔に当たる雨粒が痛いほどの天候でキレた下りを見せています。慌てて彼を追いかけて補給ポイントでも何ももらわずに通過し、すぐに始まる下りでメイン集団に合流。ただ、先の補給ポイントで見た、スタッフの掲げるボトルが今年は非常にカラフル (空色地と黄緑地の2種類) だったので絶対に最終補給ポイントまでにゲットすることを心に誓う。多少集団に追いつくまでに脚を使ったけど、ダムへの登りで千切れたにもかかわらず、まだ脚には十分力が残っています。
ここまでの補給状況です。

ボトル:アミノバイタル粉末入りの水をボトル1/3ほど消費
補給食:スタート直前に補給した分を含めてカーボショッツ3本消費

下りも安全に走っていると、いつの間にか集団の前に2人が離れているのが見える。近くにいた人が畑中さん@イナーメに「高岡さん、ついに行ったね」なんて話していたところからすると、ここから彼の追走が始まったらしい。先に逃げていた5名の中ではよっしーさんがまだ単独で前を走っているようで、独走力のあるこの2人に行かれたらまずいんじゃないの?>有力チームの方々。あ、私は完全に傍観者になっていました・・・orz。
しかしここで筧さん、畑中さんのチームプレイが強力で、追走しようとする人のすぐ後ろについて重石になる作業を延々と続けたおかげであっという間に高橋さんと合流した2人との差が2分半に広がります。
奥の登りでも淡々一定ペース。業を煮やした(?)アクアタマが奥を越えた国頭の海岸線に差し掛かる辺りからチームプレイで強力に前を引き始めます。

そして市民85Km参加者が並んでいる横をスピードが上がった集団が過ぎた二つ目のトンネルで大きな展開が発生します。

トンネルの半分辺りで集団の前のほうで5人ほどが同時に落車発生。それを避けようとする後続も次々と落車しています。すぐに初参加の時に1つ前のトンネルで巻き込まれた大落車が頭をよぎります。沖縄のトンネル内の路面は雨天時にはある程度以上の速度で曲がろうとハンドルを切ると前輪から滑るんです。前の人がどんどん落車する中をハンドルをまっすぐにして慎重にリアを中心にブレーキング。十分に速度が落ちた時に右側に見えたわずかな隙間に身体をねじ込んで何とか惨事を免れました。
集団でこの惨事を免れたのは最前方にいた10名弱 (後で聞くと6名だったとか) +危うく落車をすり抜けた私、Team KIDSの方、そしてBOSS西谷さん@O-Vestの3名。西谷さんの姿を見た瞬間に"前を追わなちゃ"とすぐに体勢を立て直してローテーションを始めます。既に姿が小さくなりかけている前6名はアクアタマ勢を中心に全開走行になっています。こちらも3人で走り始めますが西谷さんが強い、強すぎる。彼が前に出るとローテーションを替わるまでに私の消耗が酷いです。次第に私がローテーションに入れなくなり、僅か3Kmほどで千切れました・・・。
2人の姿もどんどん小さくなり後続も見えない中、単独で向かい風の海岸線を走り終えて2回目のダムへの上り口に到達。多少はメイン集団からマージンを稼げたはずなので何とか登りの後半まで持たせたいのですが、もう1回目とは別人のように速度が上がらないよ。
情けないことに、登り始めて1/3ほどのところで後ろからメイン集団に追いつかれ、あっという間に離れていきました。本当はこの集団で走る予定だったのに・・。すぐ後ろにいた85Kmクラスの先頭集団にもパスされ、更に登りの半分過ぎで130Kmクラスの先頭集団にも置いていかれた。どんどん後ろから抜かれるばかりで頭の中では"DNF"の文字がちらつき始めます。
ふらつきながら山岳ポイントを超えて得意の下り区間になっても完全に消耗してしまった脚に力は戻ってこない。ようやく補給ポイントでまだ1/3ほど残っていた1本目のボトルの水を口に含めるだけ入れて路肩にいたスタッフからスポーツドリンク入りの黄緑ボトルを受け取る。データを見ると2回目の登りは1回目の登りよりも4分も遅くなっていた。それは周りから遅れる一方だよな。
高江への下りでようやく5名ほどの集団になって少し楽になったけど、再び登りになると彼らからも遅れてさっきまでの光景の繰り返し。次々と後続から抜かれて高江の頂上に近づいた頃に後ろから来たzucchaさんに「一緒に行こう!」と言われたけど、彼にもついて行けず。それでもしばらくして追いついてきた小集団に気力だけで喰らい付くと、やっと脚が回るようになってきた。この集団が完走の最終列車のような気がして中にいた200Km参加の人にもペースを確認しつつ高江関門を制限時刻の2分前に通過。
この10名ほどの集団は主に85Kmクラスが中心で200Km参加者は3名ほど。いくら千切れたとはいえ我々とは走行距離に100Km以上も差がある85Kmクラスの人達が比較的元気に走ります、というより元気すぎてローテーションを乱しがち。それでもこの集団で一緒に行けば完走に大きく近づくのは間違いないので、200Km参加者を中心に列を整えながらペースを維持します。前から落ちてきた人などを吸収して30名ほどになった集団のまま最後の補給所でもう1本の補給ボトル (空色) をもらって、さあ源河に到着。
毎年、この僅か3Km弱の登りで散々苦しめられてきたけど、今回は比較的脚の揃った集団で登れる。まだ雨は降り続いていて立ち漕ぎでトルクをかけると後輪が滑る状態の中を黙々としかし確実に走って、今までの沖縄レース参加で初めて集団のまま源河を超えることに成功。時計を見ると関門の制限時刻までまだ25分近くある。集団前方で慎重に下って源河関門を通過!これで最後まで走れば完走です。

最後の平地区間を走りながら集団内で事故に繋がるような無駄な動きを牽制しつつ小雨の中をゴール。結局、最初から最後まで雨だったよ。
ゴール直後から次第に雨が上がり、観戦に来ていた家族と話をする頃には晴れ間さえ見えてきた。近くにいた知り合い連中や同じ集団にいた人達とお互いの健闘を称えあう、この瞬間がレースの醍醐味の1つだよな。

最終的な補給状況です。

ボトル:アミノバイタル粉末入りの水をボトル1本半ほど消費
補給食:スタート直前に補給した分を含めてカーボショッツ6本消費

結局、自分のレース自体は満足できるものではないし、一旦遅れた後にもっと気持ちを強く持てればいけたんじゃないか、という悔しさもあります。それでもレース後に話していた中で数人から落車を避けた後に西谷さんと前を追った部分について「最初から最後まで集団に留まって何もしなかったよりは良かったんじゃないか」と言われたことを思い返して、また1年頑張ることが出来そうな気がします。
高いスキルを持った他の参加者達だけでなく、レースを開催する為に多大なる努力をし、また大変な悪天候の中でもしっかりとしたレース運営を行ってくれる大会関係者にも感謝。
今年もこういう素晴らしい大会に参加できたことを誇りに思うと共に自分ももっと切磋琢磨して再びこの地で戦いに戻りたいですね。


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