2005年5月3日

茨城県筑波サーキット−筑波春の8耐

10年近くの筑波でポン!チームの歴史の中で始めてチームジャージを作ってのレース参戦。思い返せば昨年の美ヶ原の宿で「ポン!チームのジャージ作る?」の一言で始まって下絵の作成、ジャージ製作メーカーの選定から・・なんて歴史は自分の中にだけしまっておけば良い。
テント設営場所の確保をスムーズに行うために事前に策を練っておいたおかげでピット近くに充分なスペースの確保に成功。ピット近くのエリアにテントを設営するのはいつも禁止だったけど、今まではなし崩し的に許可されてきたのに今回はかなり厳しく言われるようになったのは今後の注意点 (自分へのメモ)。これで今日の仕事の7割は終わった。後は後片付け1割、チーム分けの状況に応じて最終走者を決めるのに1割5分、残りは自分の走りだ、なんて思っていました・・

今回はポン!チームで5名×4チームでエントリーしています。でも都合によって来れなかった人がいて合計18名+(1名)での参戦。エントリー時のメンバーからの入れ替わりもあるので現地でジャンケンにてチーム分けを実施。でも今日の結果で下位2チームが上位2チームに夕食を奢ることになっているので、ここで脚力差が出ないように調整する仕事があります。これも皆さんの総意を得られる面子に分けてスタート前に自分達でやるべき事は終了。

筑波は通勤ビアンキ号(改)の筑波ビアンキ号を持参しています。通勤時との差分はペダルがMTB用のSPDからロード用のSPDへの変更、車輪がZIPPの古い(10年位前のものかな)カーボンディープホイールになってそれに伴うブレーキシューの交換、後は泥除けなどの通勤時に使用する各種装備を外す、という点。
コースは知っているし、人が多過ぎる状態ではどう走っても心拍が上がらないので試走に意味は無いけど、何もしないで時間を潰すのはもったいないし、何よりもローラー台も持ってきていないので仕方なくコースに出る。そこでわかったのは我々のチームジャージ、目立ちます。離れていてもすぐにわかります。この頃にはKMCで参加している皆様にも会うようになりますが、一様に「派手だねえ」という言葉を残しています。このジャージの目的は人が多い筑波のレースで一目でチーム員を認識できる、というのもあったのですが、見事に目的を達成しているようです。
でもこの時点でいつもと違うことがありました。通常ならば各チームに計測用のセンサが配られているのですが、この時はまだどのチームも受け取っていません。どうやら最近になって流行っている太いハンドルに対応するブラケットの準備が遅れていてセンサの配布まで手が回っていないようです。ようやくセンサを配り始めてもわがチームのセンサが配られていません。受付まで行ってみると同じようなチームの為に手作業でセンサを新たに登録し直している様子。ようやくセンサを入手してスタートです。この時点で当初の予定から30分近くの遅延が発生です。試走時に多少は上がっていた心拍は既に60拍以下になっているけど、こんな状態でスタートするのかい?

筑波はゼッケン番号順に第1コーナーから後ろに並ぶので、ゼッケン番号はスタートしてからの位置取りに非常に影響があるんですけど、今回のポン!チームはゼッケンが102-105で全部で380チーム以上ある中でかなり前のほう。それよりも380チーム以上ですか?通常の春の筑波は多くて300チーム、いや350チーム前後の夏の筑波よりもチーム数が多いんですけど・・ 成り行き上、スタートライダーになってしまったけど、これなら最初の少なくとも1周目は無理しなくても先頭集団に入れるかな、と思っていました。そしてそれは正しかったけど後から思うと、この気の緩みがいけなかったのかも。
スタートして最初の周回は心拍も上がらないし、集団の前のほうは勢いが良い、言い換えれば無鉄砲に走っている連中が多そうなので少し下がり目の位置で展開。2分54秒。

2周目になってスタート位置が後ろの本当に脚力のある人達が先頭集団に合流するので、そういう人達と一緒に前に上がれば集団も落ち着くはず。それまで待ちましょう。そして予想通り2周目のバックストレートでKMCのノブ君と昨年のTD沖縄の市民200Kmで2回目の優勝をしたナルシマ福田さん他が一緒に自分の位置まで上がってきて、さあ戦闘開始。2周目終了。2分55秒のラップタイムを確認して前を見た瞬間、すぐ前を走行している人が突然落車!!かなりのスピードだし、結構密集した集団だったこともあって為す術も無く転倒した人に前輪が乗り上げてこちらも落車。何が起きたかわからなかったが、後続車から身を守るために一瞬体を丸めて様子を見てから起き上がる。ビアンキ号は斜め前方に投げ出されているし、目の前では人が倒れている。倒れている人は主催者側の人が近寄ってきていたので対応を任せて、自分の自転車を取りに行く。そしてピット壁に自転車を停めて様子を見ると前輪のタイヤがパンクしているし、更に外周部のカーボンが割れてしまって走行不可能。この時点でレースはレッドフラグで一時中断。結局当初の予定から1時間10分遅れで再スタートになった(当然他の人にスタートライダーは代わってもらいました)。

自分のチームのテントに戻って自転車を停め、それまでに自分の怪我の状態を確認。肩、腰を打っているが、問題なく動く。ただし左肩は打撲の症状がある。それでも骨に影響は無い様だ。右の腕、膝に擦過傷。こちらも傷は浅いので、汚れを取れば大丈夫。他には指数本を軽く打撲、路面を転がったときについた数箇所の傷も浅い。救護室では擦過傷に処置をしてもらって開放される。救護室を出るとポン!チームの人やKMCの人達が集まってきて様子を聞かれてもまだこの時点では事故のときに何が起きたのかわからずに生返事しか出来ません。それにしても今回初登場のポン!チームジャージ、全くの無傷でした。そして自転車も前輪以外はサドルの後ろ側に路面で削れた跡がある以外は無傷。一体どういう転び方したんだろう?(後日談:やはり無傷なわけなくて、フォークが根元から曲がっていました。鉄のフォークだったからこの後にレースできたけど、アルミやカーボンフォークだったらこの時点で折れていたでしょう)
とりあえずKMC井上さんが使っていないディープリムのホイールを貸してくれる、というので自転車に装着し、一旦自分のチームのテントで休憩してから様子を探りに行くと、どうやらわずか2周で現れた周回遅れを集団の先頭が抜くときに合図も無しに(?)間隔を十分に空けないルートを通過し、集団と抜かれた人の速度差が大きかったために次第に間隔が狭まって自分の前でそれが無くなった、というのが真相のようです。
落車の原因が自分には無いことがわかったのですが、しっかりと前を見ていれば(かなりの高速の集団の中とはいえ)違った対応が出来た可能性もあります。そして筑波は普段集団走行に慣れていなくても勾配がない為に脚力が劣っていても充分に集団に残ることが可能です。そんな人が多く残っている最初の数周は走行ラインがふらついたり、余所見したり危なっかしいのが多いんです。もっと注意しなくてはいけませんでした。
結局2名(最初に追突した人と追突された人?)が救急車で病院へ。他数名が巻き込まれる事故になりました。

KMCのテントに出向いてぶーたれていたら、差し出されたのは缶ビール。当然文句も収めておいしく頂きました(^^)。他には店長が実家より大量のジンギスカン肉を用意していたので、事故の後に若干興奮気味で空腹気味だったお腹には非常にありがたかったのも言うまでもない (店長、そして店長の奥様、この場を貸りておいしい肉の提供、御礼申し上げます)。

スタートライダーだったのに結局5人チームの最終走者として登場。最初の春の筑波では天候の状況で雨降ったり、曇って寒いくらいの気温になる時がありますけど、今年は終始暖かな陽気で非常に気持ち良く走れました。コース上は一部でかなりの向かい風を感じたけどこれは例年通り。事故の時はポラール時計をハンドルに巻きつけていましたが、ビアンキ号には最初からポラール時計をつける台座をつけておらず上手く固定できないので、ここからは通常の通勤で使っているスピードメーター(ラップ計測機能なし)のみ装着。なのでここからの時間の記述は目視での読み取り時の記憶になっているのであしからず。
自分に合う良いペースの集団がいなかったので単独で3分20秒前後のラップで淡々と5周位するとダンロップコーナーの辺りで後ろから来ました、快速列車が。ホイホイと40Km/h以上のスピードが出ている列車のお尻に飛び乗って気持ちよくローテーションをまわして恐らく3分数秒/周でのラップを重ねて最後の周はバックストレートで先頭を引いてから10周で降車しました。31分40秒前後。

2回目の出走も1回目と同様に最初は単独走行。で後ろから来た快速列車に飛び乗って楽チン楽チン。1回目もそうだったけど、集団は10人以上なのにローテーションに加わるのは多くて4人、大半の時間は2人しかいない状態。でもこれは筑波では恒例のこと。却って人数が少ないほうが平地で高速を維持する良い練習になります。時折金魚の糞状態の方々を千切るべくダンロップコーナー下の微妙に登る部分や第1コーナーでアウター×15T辺りでグリグリと踏むと面白いように集団が小さくなります。その後、しばらくすると別の金魚の糞が繋がってくる・・その繰り返しで終了。走行時間も1回目とほぼ同じで31分40秒前後/10周。

3回目の出走は最後の30分に向けて時間調整をする為に4周でおしまい。ここは最初から最後まで単独走行で13分30秒前後。怪我しているのに最後の30分を走ることになったので自重気味な走りに終始しました。

そして4回目となる最後の30分。例年この最後の30分はそれまでよりもペースが上がって面白い反面、周囲が暗くなることに加えて疲労からか落車が多く発生する時間帯。十分に注意する必要があります。ピット閉鎖の1分前に前走の伊藤君が帰ってきていざ出発。ピットロードも直前のラッシュよりも多少空いているもののかなりの人間パイロンをすり抜けてコースイン。
コースに入ってすぐに40Km/h弱で周回する集団が前に見えたので全力で踏み倒して追いつき、もう少し早い集団が来るまで一休み。そして2周目にやってきた特急列車に急いで飛び乗ります。この集団、2名ほどが比較的強いものの、他の面子(4名くらい)もそれなりに脚が揃っていてローテーションが楽です。バック/ホームストレートでは43Km/h以上を維持するし、周回遅れをパスする時の声のかけ方も慣れている感じ。この集団なら大きな事故は起き難そうでその面でも安心して周回できます。でも周りでは次々と落車が発生して時折救急車がコースに入っています。7,8名の集団には自分と同じタイミングで事故にあって顔を怪我したアンカーにコスミックカーボンの人も含まれていました。後で聞くと以前は小田原のEnjoy Houseで、今は藤沢のほうで走っている、との事。もしかするとどこかでまた会えるかもしれないですね。
最後の2周は周回遅れをパスするタイミングと救急車で狭められたコースを抜けるタイミングの関係で4名になってしまった集団で更にペースアップ。オレンジのライトでコースを照らされて疾走するホームストレートでは向かい風が弱まっていたこともあって50Km/h弱になっていたと思われます。最終走者だけが味わえるクローズされたピットロードに多くの人が鈴なりに応援する中での走行は毎度ながら気持ちいいものです。これは是非とも機会があれば味わって頂きたい!
この応援の声がラスト1周を告げています。ホームストレートの勢いそのままに第1カーブに向かう緩い丘を抜けて最後3分の勝負。バックストレートから抜ける右カーブにかかったところで下ハン持って一気に集団から飛び出し、もがきながら入線。最後までスピードを緩めない走りが出来てとりあえず良かった良かった。
この周回は (多分) 11周で34分くらいだったのかな。

テントに戻って着替えながら後片付けの段取りもこなして全ての作業は終了。結局自分のチームは仲間内の4チーム中で1番の成績だったので夕食は下位2チームの人のおごりで谷和原IC<に向かう途中のココスでおいしく頂きました。ココスを出たのが23時過ぎで、途中伊藤君を家まで送ってその後に仮眠した為に帰宅は午前2時半過ぎ。家を出たのが午前3時半だったから23時間以上の長丁場でした。

ポン!ジャージ

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