2009年11月8日

ツール・ド・おきなわ

市民200Km 結果 41 位/405人エントリー (277人完走)  5h47m13s108 (10m56s60遅れ)

今回の主要装備:
スペシャライズド、ターマックカーボン+7800デュラエース+フルクラム Racing1 w/ Vittria OpenCorsa
カーボショッツ×8本(内5本分を消費)、CCD入りボトル2本+途中補給スポーツドリンク入りボトル3本(全て消費)

8月下旬の全日本実業団の直前にポジション変更を決意したのは、全てこのレースに間に合わせる為。この変更によって使う筋肉が変わってしまった為に、しばらくは不調に至って飯田ロードではまさかのDNF。そしてその後もスキップ錬で序盤から豪快にバックアタックを決めたりしながらも、徐々に調子が戻ってきたと感じ始めたのが、富士チャレンジ直前でした。富士チャレで何とか入賞できた事で、ようやく「シーズン最重要レースでDNF」という最悪な事態を免れる目処がついて参加した2009年のおきなわレースでした。

(金曜)
今までは自転車を宅配便で先に現地に送っていたのですが、ここ数年の宅配料金高騰により始めて輪行にて移動です。
那覇行き最終飛行機にて那覇空港に到着後にゆいレールのホームに立ったのが23時半。ホテル着は24時。いつもの荷物に加えて自転車も担ぐのはきついです。今後はキャリーカートも持参だな。しかし名護バスターミナルのすぐ近くなので、朝は比較的ゆっくり動き出せば良いから夜中に頑張って担ぎましたよ。ゆっくりとオリオンビール1本を飲んで1時前には就寝。

(土曜)
起床してからホテルの大浴場で体を伸ばし、ホテルの食堂でパンやスクランブルエッグ系を中心の食事をして出発。市民レーサーでもレース前の食事に気を使う方は多いのですが、私は普段通りの食事を通すタイプ。気にするのは食べ過ぎないことだけでしょうか。
名護バスターミナルに向かって乗り込むのは空港からの高速バスでは無く、沖縄バスが運行する名護行きの路線バス。この時期の高速バスでは輪行自転車の積載でテトリス状態になるけど、路線バスは利用者が少ないので悠々と席を占有可能。下道を使うので時間はかかるけど、のんびりと南国の空と海を眺めながらの移動は癒されます。那覇を8時過ぎに出発した路線バスは10時過ぎに名護城 (なごぐすく、と読みます) 入口バス停に到着。ここから宿泊先のホテルに移動・・・なのですが、今回は既に倒産したホテルに宿泊なんです。予約時にはまだ営業していたホテルが倒産したのが9月末。10月には管理会社から連絡を受けて今回の部屋は確保されているとの話を聞いてたので多少不安がありました。事前にもらっていた地図を頼りに指定された場所に行くと、数年間は使っていなかったと思われる建物 (旧別館らしい) で、中は常に工事音が鳴り響く状態。当然、フロントなんて代物は無く入り口においてあった電話の横に書いてあった番号に連絡すると、「荷物をそのあたりに置いて下さい」なんて言われました。仕方ないので廃墟と化したスペースに荷物を広げ自転車を組んでから貴重品だけを持って試走に出発。

試走コースは本番の序盤となる市民50Kmコース。気持ちよく晴れ渡る天気の下を走ります。ただ、天気は良いけど風が強い。まあ例年通りではありますが。この風を懸念して今年はディープリムのコスカボではなくミドルプロファイルのRacing1のみを持参したのですが、この選択は間違っていなかったと思わされます。しかし、本部町ではかなり道路工事が多くていきなり車線が狭くなる区間が数箇所。今年は史上最高のエントリー人数になるので、危険回避のためにもこの区間に入る前には集団の前方に移動しないとまずそう、なんて考えながら走っていた海洋博公園の手前で新設されていた道路の路肩側が段差になっている部分でバランスを崩して強く左足を地面にたたきつけてしまう。自転車のほうはブレーキレバーが若干内側に曲がる程度で済んだし、体のほうは擦過傷も無い程度の落車だったので、そのまま試走を継続しようとしたら、微妙に左ふくらはぎが痛い。先に体勢を崩して左足を地面につけた際に相当な負荷がかかったのか?もしかすると軽い肉離れの可能性もある。
左足の様子を気にしながら走り出すと、やはり強いペダリング時に若干の痛みが出る。まずい、非常にまずい。それでもしばらくすると、痛みが薄らいだのでそのまま試走を継続。とはいえ心拍を上げるような走りはせずにサイクリングペースで名護に戻り、ホテルへ帰還。ここでようやく先方が急ごしらえで用意したような部屋に移動して荷物の開梱、シャワーを浴びる。その後、すぐに持参していた消炎ジェルを肉離れを疑う箇所を中心に塗りこみます。沖縄は気温が高いから何もなければこれ以上症状は悪化しないはずで、それ以上は自分の自己治癒能力を期待するしかない。

ホテルから徒歩5分の受付にて自分の分と遅れてくるI上さん@KM Cycle分の受付を済まし、受付表と一緒に入っていた500円の割引券を使って近くの食堂で食事後に国際ロードのTTを眺めてからホテルへ戻る。レース準備をしながら参加者リストを眺めると、ホビーレーサーの強豪/有名人がいたるところに散見されます。すごい。TR/BR-1レーサーが続々と、そして全国規模のヒルクライムレースの優勝者、入賞者も続々と見つかります。少なく見積もって先日の富士チャレで入賞以上の実力を持つ人が80人前後はいる感じ。ここまで濃い面子の中で走るのか・・。
再び消炎ジェルを患部に塗りつつ昼寝。I上さん、S田さん@KM Cycleと一緒に夕食を食べ終わった頃にはほとんど痛みを感じない状態になっていました。
これならいける、いけるはず、というより上手くいってくれないと困る。
ホテル近くの東江ショッピングセンターで水と朝食を買って22時過ぎには就寝。

(日曜)
スタート/ゴール地点から近いので、しっかりと睡眠時間を確保して5時に起床。例年だと朝晩の冷え込みで半袖短パン姿だと肌寒いのですが、今年は少し気温は高いようであまり寒さを感じません。それでも用心のためにウォームアップオイル&日焼け止めを塗り、お腹にはコンビニの袋を入れて防寒対策。しっかりと朝食を摂ってから6時にホテルを出て会場へ。
会場では既に市民200Kmの参加者がスタートを待つ列が出来ていて、ちょっと焦りますがチバポンズ江国さんの姿を見つけてその近くに潜り込みます。関東よりも遅い夜明け時刻を過ぎた頃に市民200Kmの列が移動・・・なのですが、対向側に並んでいた列のほうが実は正規の並び列だったようで、こちらの列は後方に追いやられてしまったらしい。しまった・・・。
仕方ないのでおとなしくスタートを待って7時に号砲一発。周りは危ない走りをされる方がいるものの、基本的に市民200に参加する人は走りがお上手なはずなので、最初は慌てず車線が広がるリゾネックス前まで待つ。車線が広がってから徐々に集団前方に移動すると、既に有力どころが集まっています。昨日の試走時に気になっていた工事区間は無事に集団前方で突入。案の定、この近辺で集団後方では落車が頻発したらしい。昨日やらかした左ふくらはぎの異常はほとんど収まっています。結局、レース中は (アドレナリンが出て?) 気にならなかったのですが、レース後には再び軽い痛みが。でもこれ以上に酷くならなくて助かりました。
そして私は知らなかったのですが、この頃にレースへの大きな展開を与える逃げが始まっていました。その逃げは木祖村で総合優勝したリー・ロジャース選手と輪島ロードBR-1で優勝した選手 (カラタイデュ選手)、と私が聞いたのは何とそのずっと後である奥の登り区間(情けない)。この逃げを追うために例年であればサイクリングペースのはずの半島&海岸沿い区間は結構な高速ペース。おかげで恒例のおしっこタイムが無い状態で1回目の普久川ダムへの登りに突入。この市民200Kmクラスの動きで市民130Kmはスタート時間を確保できずに、またしても市民200Kmの後からのスタートになってしまいました。

レース前から覚悟していましたが、この登りが滅茶苦茶速い。集団前方では西谷さんO-Vestや森本さん@MAX Speed 97'、イナーメなどの有力どころがペースを作っています。そしてその速いペースについていく集団の人数が昨年は坂の中盤で30人弱だった記憶があるのですが、今年は50人前後は残っている感じ。なんじゃぁ、こりゃぁ。
そして昨年同様に登坂の終盤に千切れる。進歩なし>オレ。何とか彼らを視界に納めながら走っていると、後ろから竹谷さん@スペシャが数名を引き連れて上ってきたのでそのペースにあわせて走ります。山岳ポイントあたりで後ろから奈良さん@チバポンズが現れるなどして膨れ上がった第2集団?は20名弱。前とは30−40秒程度の差でしょうか。後でデータを調べると1回目の登りは自分も集団も昨年とほぼ同タイムだったようです。という事はあのスピードで走る集団でクリアする力を付けないと50位以内も難しいのか・・・。しかも高岡さん@イナーメのブログによると、彼はこの登りでも余裕があったとのこと。力の差をまざまざと感じます。
それでもまだこの時点では得意の下りですぐに追いつくつもりだったのに、補給地点でようやく集団の後ろを走る審判車両を視界に捕らえる程度にしか差を詰められない。ここで前を捉えられない焦りが出たか、スポーツドリンクを補給しようと少し斜行してしまったらしく奈良さんに怒られる。申し訳ありません。

奥への下りでは追走集団を長めに引きつつ、数名と協力してようやく前に追いついたのは下りの中盤でした。前が見えてからも中々差を詰められなくて苦労する視界に見えたのは、集団で抜け出しを図るアタックが連続発生している場面。そんな状態で速度が落ち無かったためか、今年は我々の集団以外の後方集団は誰も奥までの区間では合流出来ない。例年に無く人数が少ない状態で突入した奥の上りで、よっしーさん@CBと数名が少し抜け出した直後に集団先頭付近にいた高岡さんがじんわりとペースアップ。うー、ここでそう来たか。

すぐに高岡さんは集団から数秒のリードを奪うが、集団が放置するはず無く彼を追うために若干のペースアップ。とはいえ、集団を小さくするようなペースアップではなく脚を削るように平均速度が徐々に上がる感じ。集団中盤で走りながら単独で走る高岡さんを視界に入れつつ走って (またしても待たされていた) 市民85Kmの方々の横を抜けた宣名真トンネル手前で後方から審判車両がクラクションを鳴らしながら「ニュートラルだ!前に行かせろ!」と叫びながら集団の前に出た直後に「止まれ、止まれー!」。この時点では昨年に落車祭りがあったトンネル同様の舗装である宣名真トンネルで安全確保のために減速を命じたのかと思ったが、トンネルを抜けた漁港に全員入るように指示がある。
一同、不思議に思いながら指示に従うものの、審判車両からは何の説明が無いまま漁港の奥に押し込められて何も情報が無い。そのうちに遅れていた集団が続々と追いついてきてやはり全員停車させられている。次第に人づてに「市民200Kmの逃げ3人が速すぎ&国際ロードが遅すぎて、その間にスタートするはずだった女子国際ロードがスタート出来なかった」為に全員停車を命じられた"らしい"という情報が回ってきた。そういえば、停車する直前に外人が審判車両に何やら話をしている姿を見たけど、その抗議だったんだな。一部の人には運営側の説明が聞こえたらしいけど、奥のほうにいた人には全く説明は聞こえなかったし、再スタートするかどうかすらわからないままに聞こえてきた言葉は「逃げていた3人をスタートさせ、その3分後に全員一斉スタート」という驚愕の話。何と遅れていた人も含めて同時スタートだって!何だよそれ。

で、20分以上の停止後に走り始めるわけですが、多くの人がモチベーションダウンしてしまったのか最初はサイクリングペースだったのに徐々に集団がレースモードになって、再び前方では逃げを試みる人が現れ始める。慌てて集団前方に移動してすぐに2回目のダムへの登りに突入。
この2回目は1回目と比較すると格段に平和なペースだったので無事に集団内でクリア。しかしこの登りタイムは1回目よりも当人比で僅か30秒ほどしか遅れていない。それでもずいぶんと楽に感じたから1回目に集団でクリアできた人たちには相当楽な登坂だったことでしょう。ここを集団でクリアしたのは50人ほど。
山岳ポイントを過ぎた短い下り区間を集団後方で慌てず楽に下っていたら、緩い右カーブで突然ゴムが焦げる臭いがした。その瞬間に目の前で数名がガードレールに突っ込んでた・・・。おいおい、何でこんな広い道で落車する?すぐ横にいた武末さん@オッティモが「何でこんなところで落車するんですかねぇ」と呆れた口調で呟いてました・・。

そして次の距離は短いものの斜度がきつい難関区間である高江に差し掛かると、明らかにさっきのダムへの登りとは集団のペースが違う。あっという間に集団後方に追いやられ、徐々に集団から離れてしまいます。う、やばい、やばいと心では感じているのですが、脚がこれ以上の力を出せない。とうとう坂の中盤付近で決定的に集団から遅れてしまいました。その後も近くにいた数名と一緒に前を追いますが、もう追いつく事もなく、登坂が終わる頃には集団は見えなくなってしまいました。その頃に後ろからすごい勢いで来たのが優勝候補の一角だった白石さん@シマノドリキング。「前は見えますか?」「いや、見えなくなってしまいました」という会話で全てを悟った白石さんはここでレース終了。その後はおとなしく走っていました。先の落車によって遅れてしまったとのこと。それは無念でしょう。
その後、前から数名を吸収したり後続からも数名が追いついてきたりして15名ほどの集団になって時折ローテーションが乱れながらも源河を目指します。まあ先の中断騒ぎやこの位置で走らざるを得なくてモチベーションが下がってしまった人も多かったでしょうからローテが乱れるのも仕方ないところです。
次第に登りで集団の前を引くのは金城さん@前FunRide編集長と私がメインになり、時々他の人が変わる感じ。平地では山本健一さんと大きな体のナルシマの方が強い。そのまま突入した源河の2/3段目坂は、ほとんど全区間を私が集団を引いてクリア。源河の途中では完全に脚が止まって蛇行しているハシケンさん@FunRideやアクアタマの方を抜き、頂上でtinoueさん@synergyを吸収。
確かにこの区間は私が彼らよりも速かったようですが、ボロボロになって走っていた彼らはその直前まで集団内で全力で戦ったものの、力尽きた勇者なんです。その戦いにも加われなかった私は情けない限り。

源河関門を過ぎて最後の平坦区間は5人ほどしかローテーションに加われない状態で途中にある橋でも集団がばらけそうになります。ここで今までおとなしかった白石さんが「一人で行っちゃってもいいですか?」と聞いてきたので、「いいですよ」と答えたらすぐに向かい風の中を一人で行ってしまいました。アレが優勝候補の実力ですね。
ネオパーク前の緩斜面で再び私が集団の前を引いていたら金城さん、山本さん、それに宇津野さんがペースアップするのでそれについていったら、他の人たちは遅れたみたい。
この頃から矢折れ刀尽きた人たちを次々と吸収するようになります。その中には何とあの西谷さん@O-Vestがいるじゃないですか。彼を抜く日が来るとは夢にも思わなかったけど、それでも既に私が知らないところで戦っていたはずで、結果的に大きくペースダウンしなかった私が先にゴールしただけで彼よりも私が強いなんてことは絶対にない。様々な要因が絡み合って展開されるロードレースの奥深さを改めて思い知る瞬間でした。

最後の直線になって金城さんが前に出たときに宇津野さんが「このままで行こう」と山本さんと私に言ってきたのでその体制のままゴール。順位的には昨年を大幅に上回る結果だけど、あの大休憩でなんだか変なけちを付けられたようで微妙ですね。

レース後は既にゴールした&ゴールしてくる知り合いとお互いの健闘を称えあってからホテルに帰って輪行袋と共に会場にリターン。会場横に用意されていた宅配便サービスに自転車を預けて再びホテルへ戻ってシャワー&ジャージ水洗いを済ましてから更に再び会場へ。ちょうどふれあいパーティーが始まったところでした。
毎年このパーティーには遅れて到着していたので、お目当ての豚の丸焼きは食べられずに残骸を眺めるだけでしたが、始めてこのレースに参加して7年目、始めて皿いっぱいの肉を食べる事が出来ました!!これは嬉しい!(レースよりも嬉しかったかも・・)
この会場では知り合い連中を中心にお初の方、久しぶりの方などとオリオンビールを片手に色々な話が出来ました!中でも印象的だったのは奈良さんの相方である臼井さんとのTRチーム談義と野崎さん@パインヒルズの「あの休憩で若者は復活したけど、オヤジは駄目だな」という話。それと前半に逃げたカラタイデュ選手はフランスで既にナショナルカテゴリーで2勝し来年はエリートカテゴリーで走る&来年の日本では現在の所属チームが某チームと合流してTRで走るという話も聞けたし本人も好青年。不透明な運営のため?に不本意な結果だったかもしれないのですが、そんな思いを感じさせない若者でした。

ふれあいパーティ後は例年通り名護曲に移動して宴会だったのは言うまでもない。

 

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